『天啓予報』第2章 まともな人間がつける日記か?

第二章 まともな人間がつける日記か?
 
「名前は?」
槐詩かいし です」
「年齢は?」
「十七歳です……」
 警察署内。
 槐詩はデジャヴを感じていた。同じようなことをどこかで経験しなかっただろうか?
 聴取が終わった時、槐詩は尋ねた。
「これはホストの面接じゃないですよね?」
 警官の顔が引きつった。
 槐詩は椅子に座り、まだ緊張と恐れで動悸を速くしたまま息をついた。
 爆発、死人、金魚、金属の箱……
おかしなことが一度に押し寄せ、まるで今日一日で人生の辛酸をなめ尽くしたような心境であり、頭が上手く働いていなかった。
 槐詩はさっきの爆発のことを考えた。きっと暴力団同士の抗争に違いない。もし男に押し付けられた箱の中に白い粉が入っていたら?警察に捕まってジ・エンドだ。
 いくら自分が食事に事欠くほど貧乏だと言っても、臭い飯を食うほど落ちぶれてはない。
「こういう時は、すぐに通報するのが賢明だよ」
 聴取をした警察官も頷いて同意した。
「もし白い粉や爆弾でも入っていたら、たいへんなことになるからね」
「あの箱は一体何なんですか?」
 槐詩は好奇心から尋ねた。
「さあ。X線や、爆発物検知器にかけてみたが、危険なものは何も入っていなかった。骨董品みたいだけど、一体何なのか。明日専門家が来て箱を開ける予定だ。今日はもう聴くこともないから、帰っていいよ」
人間の死に遭遇したため、槐詩の持ち物は一通り検査を受けた後に返却された。
 槐詩はすぐにリュックの中から厚い立派なノートを取り出すとパラパラとめくって調べた。
 人に調べられた形跡はなかった。
 槐詩の緊張した様子を見て、警官は思わず笑いだした
「どうした?君の日記を読んでないかって?はは、安心しなさい。見てない、見てない……」
 槐詩は気まずそうに笑い、ノートをリュックに押し込んだ。槐詩はもう一度警官に報奨金が出ないかと尋ねてから、しょんぼりと外に出た。夏なのに心は寒々しかった。
 槐詩はうつむいて道を歩いた。街灯が槐詩の後ろに長い影を落としていた。
 揺れる影の中から、カラスが羽ばたき出たようだった。
 カッ!
 夜空に雷鳴が轟いた。
 一時やんでいた雨は、雷の轟音とともに再び降り出した。
 帰宅した時には、槐詩は全身ずぶぬれになっていた。
 槐詩は鉄の大きな門の前に立ち、鍵を取り出すと、錠を開けた。力を入れて門を押し開けると、大雨も掻き消せないほどの鋭い音が響いた。
「ただいま……」
 暗がりの中、答える者はなかった。
 スマホの灯りに照らされて、古い庭の荒れた様子が見えた。
 鉄の門の内側は枯葉が地面いっぱいに落ちている。ツタとフジカズラに覆われた壁は剥げてボロボロで、噴水はとっくに枯れ、石像は欠けていた。
雲に覆われた空に、突然鋭い稲光が走った。
 庭園に古い屋敷の影が落ちた。
  ※
 新海しんかい 市近郊の青秀山のふもとに、槐詩の家はあった。
 曽祖父が巨費を投じて建造した「虞園石髄館ぐえんせきずいかん 」は贅を尽くしたものだった。庭園は四季の花が絶えることなく、門前には松柏の枯れることなく、主人は夏東とうか 屈指の大富豪で、毎日沢山の車が出入りしていた……
 九十年も経たないうちに事情が変わった。
 世界の変化は速く、たった九十年の間に、蒸気の時代は終わり電子の時代になった。世界は戦争と平和、平穏と動乱を繰り返していた……
 石髄館は、歴史の短い煌めきの後、長い寂寞と衰退を経て、多くの人に忘れ去られた。
 野草はのび放題になり、ツタは壁のひびに入り込み、庭の彫像の大部分は欠けて元の面影を失っていた。かつての豪邸は、空っぽで、壁だけが残り、幽霊屋敷となっていた。
 槐詩にとってこの荒れた屋敷は、チェロと同じく、彼が悲惨な人生において所有している僅かなもののひとつだった。
風雪に曝された家屋は痛み、チェロにも細かい亀裂が入ってきている。槐詩は自分の人生が終わりに近づいているような気がした。
『末尾番号八一九三の口座の残高は一四四・四四四元……』
 窓の外で暴風雨が吹き荒れている中、槐詩は銀行の残高を調べた。
「くそ!……どうやって暮していけばいいんだ!」
の数字の並びが、彼をへの強烈な衝動に駆り立てた。
 すべては両親のせいだった。
 槐詩が生まれた時、槐家は事業を営んでいて羽振りがよかった。だが槐詩が三歳の時に祖父が死ぬと、両親はあっという間に堕落して浪費三昧の生活を送り、飲む、打つ、買う、その上ドラッグまでやり、たった数年で家産は尽きてしまった。両親は借金を残し、槐詩一人を置いて失踪した。家にあった価値のある物はすべて借金のカタに持ち去られれた。
 幸い祖父には先見の明があり、槐詩が成人した時に石髄館を正式に相続するという遺言を残していた。その遺言がなかったら、槐詩はとっくに野良犬のように街を彷徨っていたことだろう。
 人は時に、驚くほどの能力を発揮するものだ。槐詩は十歳の時に自分は気が狂ってしまうだろうと思った。だが、彼の精神は意外にもこの状況に耐え、現在まで精神が崩壊する兆候は見られなかった。
たまに古い屋敷の中で足音が、夜中に水の落ちる音が、眠っている時に誰かが溜息をつく声が聞こえたが……
 毎日をとりあえずはなんとか過ごしていけた。
暮していけないようでも暮していけるものだ。
 よく考えてみると、今まで生きてこられたのが奇跡のようだ。
 状況は段々と良くなっていった。
 成長とともに槐詩は学業でも優秀な成績を収め、特待生として全額免除の奨学金で大学に進学する資格も得た。仕事をし、金を稼ぎ、そうやって努力していけば、一歩ずつ普通の生活に近づいていけるものだ。
「人生がこんなにも苦しいのは、子供時代だけなのだろうか?」
 残念なことに、答えてくれる中年の執事はいなかった。花を育てるのが好きな彼は槐家の没落とともに行方知れずになっていた。
 長く憂鬱な夜だった。槐詩はベランダに寄りかかって煙草(タバコ)を吸い、 雨を眺め、溜息をついた。
 雷が鳴った。
 冷たい雨が空から激しく落ち、全世界を呑みこもうとしているかのようだった。
 槐詩は煙草の火を揉み消した。
 槐詩の昔日の鬱憤と怒りがついに爆発し、彼は心の底から、天に向かって叫んだ。
「天よ、その力があるなら俺を殺してみろ!――俺はお前に逆らってやる!!!」
 叫び声とともに心に溜まっていたものを吐き出した。
 ドーン!
 直後、轟音が聞こえた。激しい雨の中、雷の轟音が黒雲を震わせ。
 石髄館の真上で雲が裂け、灼熱の電光が鞭を振り下ろすように落下した。それはまるで天罰のように、真っ直ぐに槐詩の目の前のベランダの手すりに落ち、年季の入った欄干が砕けた。
 電解質の匂いが鼻を刺すなか、割れた石が飛んできた。槐詩は床に倒れた。
「あばば……そんなに霊験あらたかなのか?」
 槐詩はこけつまろびつ部屋の中に戻ると、恐る恐る窓から顔を出して叫んだ。
「噓です、嘘です、冗談です!」
 バン!
 窓が閉まった。
 槐詩は泣きそうな顔で椅子に座ると、天を仰いで溜息をついた。
 ふと、ネットのゲーム仲間とお喋りして気晴らしをしようと思いつき、槐詩はスマホを立ち上げた。
 するとチャットグループには、槐詩がホストクラブから出て来る写真が貼り付けられてあり、皆がコメントを付けていた。
『ホストデビューおめでとう!ナンバーワン目指して頑張れ!今度女の子紹介してくれよ!』
「アホか!お前らにはハゲ頭のジジイを紹介してやる!」
 返信すると、槐詩はスマホの電源を落とし、たまらず両手で顔を覆った。
 ああ、もう少しでホストになるところを世界中に知られてしまった……
なんという屈辱!十数年ずっと純潔を守ってきたのに、性欲の獣のような汚名を着せられてしまった。
 酷すぎる!
 ボロいとはいえこんな立派な屋敷に住み、黄金の指を持つ自分が、幸福な人生を送るどころか、なぜこんな目に――
 ドォン!
 窓の外でまた落雷の音がして、槐詩は驚いて飛び上った。
 槐詩はそれ以上考えるのをやめて、リュックの中から立派な装丁の厚いノートを取り出した。
「お前は本当に役立たずなのか?描いたものが現実になるとか、気に入らない人間の名前を書くと殺せるとか、何かできないのか?……」
 このノートは槐詩の宝物だ。
 九歳の時に槐詩は高熱を発し、その後このノートを拾った。
 彼はすぐにこのノートが普通のノートでないことに気が付き、大事に保管し、いつかこのノートから現れた精霊または美少女の類が自分に覚醒を告げる日が来るのを待っていた。ラノベの主人公のように超人的な力を手に入れ、ヒーローとなり、女の子にもモテモテになる……
ということはまったくなかった。
 九歳の時に拾ってから十七歳の今まで、このノートは槐詩に何もしてくれなかった。
 このノートは、見かけはただの立派なノートだが、破ろうとしても破れず、火を点けても燃えず、水に浸けても濡れなかった。
だがいちばん奇妙なのは、まるでストーカーのように槐詩の行動を逐一記録しているということだ……他人が読んだら殆ど厨二の極みのような内容である。
 厚い扉を開くと、最初のページにある烏のシルエットが目を引いた。槐詩はページを更にめくり、数奇な今日一日の記録を読んだ。警察署から出てきた時の描写を読み、槐詩は驚いた。
『揺れる影の中から、カラスが羽ばたき出たようだった。』
 槐詩は驚いた。
「こいつ、イメージ描写もするようになったのか……いつかこいつの内容を書き写してファンタジー小説をネットに投稿したら、ヒットして大金持ちになれるかも」
 当然、この恥ずかしいセリフも記録された。
「……」
 槐詩は溜息をつき、無意識にパラパラとページをめくった。すると、もともと何も書かれていなかった後方のページに、厚い仕切り紙が増えていて、その後ろのページには知らない人間のプロフィールが書かれている……
 履歴書のように、顔写真まで付いていた。
 やくざっぽい風貌の男が多く、中には槐詩を軽々と持ち上げられそうな大男もいた。他には水商売風の女たちや、髪の薄い初老の男もいた。
陳(ちん)波(ぱ)、王(おう)泉(せん)、穆(ぼく)静(せい)、陸(りく)白(はく)……
 槐詩が見ている間にも、この奇妙なプロフィールのページは急速に増えていき、ようやくおさまった時には七十数ページにもなっていた。
「なんなんだ……」
 槐詩は手の中のノートを見ながら顎に手をあてて唸った。
 まさか雷のショックのせいで何かが目覚めた?
 彼は窓を開けてノートをベランダに放ると、空に向かって叫んだ。
「もう一度お願いできますか?」
 天は槐詩を相手にしなかった。
 気まずい沈黙の中、ノートにそのバカっぽい言葉も記録された……
「コホン、いまのはなかったことに」
 槐詩はノートを回収すると、机の上に置いた。
 よくわからないことは放っておこう。明日はまた仕事を探さなくては。まずは眠ろう。夢の中には楽しいことが何でもある……
 ベッドに横になり、槐詩は目を閉じた。
 槐詩が再び目を開けると、暗い街灯の下に、蹲(うずくま)っている何者かの影が見えた。その人影は曲がった背を伸ばして顔を上げるた。凶悪な猿の仮面が見えた。
 次の瞬間、槐詩は死んだ。

#中華SF
 

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