『天啓予報』第63章 宅配

第六十三章 宅配

 艾晴がいせいの知るところによれば、いん家とかい家の交流は八十年前に遡る。
 槐詩かいしの曽祖父は希少な四階の昇華者しょうかしゃで、辺境を開拓して資産を築くと引退した。
 当時、槐詩の曽祖父は陰家と多く提携し、既に没落していた陰氏が盛り返したことにも大きく影響していた。
 槐詩の曽祖父が死んだ後も陰家は辺境の開拓を続けていた。だか陰家には昇華者は生まれず、次第に没落していった。
 ついに、陰家は槐氏が最も資金調達が必要な時に、水に落ちた犬を叩くことを選択し、槐氏を徹底的に没落させた。
 槐詩の祖父が死んでから、槐詩の両親は大金を持って蒸発した。これがとどめとなった。
 ここ数年来、戚問は帰浄の民の後ろ盾となり、救主会の悪事を闇に葬ってきた。それによって利益を得て、巨大になり、成功を収めた。
陰家はかつての忠犬が自分のところに戻ってくるのを笑顔で歓迎した。
 いま、あの老いぼれはきっといい気分だろう?
 憤怒とどす黒いものが内心に渦巻き、艾晴は思わず意地悪く想像した――あの染みだらけの老いぼれた顔が見せる笑顔はきっと醜いだろう、と。
 だが、艾晴の気持はまた沈んできた。
 自分は槐詩にこの悪いニュースを告げるべきだろうか?
  ※
  ※
 槐詩は二人のケンカを見ていた。
 ぼったくりの探偵事務所の地下室の中、彼はドアをくぐるやいなや、探偵の声を聞いた。
「帰浄の民が何かしていると思うんだ。きっと新海だけの問題じゃない!」
「その口を閉じろ!」
 探偵の言葉を聞いた柳東黎りゅうとうれいは怒った。
「滅多なことを言うなよ?お前のカラスのくちばしのせいで、酷いことになるかもしれないんだ!」
「うるさい、俺は合理的に推理してるんだ!」
 探偵は冷やかに笑った。
「信じないなら俺はすぐに十万字の論文を書いて証明してみせようか?」
「書けよ!お前の能力制限はまだ期限が切れてない。天文会が彩虹橋を使ってお前を殺すためにディフェンダーズを空から降らせてくるのが怖くないなら書いてみろ!」
「俺は帰浄の民が悪さをするところを書けないし、お前が死ぬところも書けない!」
「明日俺が死ぬ前に、お前を売ってやる!」
 槐詩が目を丸くして見ている中、二人は取っ組み合って一塊ひとかたまりになった。というよりも一方的に探偵が殴られ、顔に痣を作った探偵がギブ・アップを叫んだ。
 とっくに探偵の失言に慣れている柳東黎も手を放して息を切らした。
 槐詩は一人、地下室のレイアウトに驚いていた。
「凄いな」
 槐詩は壁にかけてある各種の銃器や手榴弾を見ていた。
「こういうのも売っているのか?」
「売ってはいるが、いまは在庫が殆どない。特事所に根こそぎ持って行かれた。ここほど品揃えのいい店は他にないからな」
 探偵は恨めしそうな眼つきをした。
「これらは人が犯罪を犯す時の道具だ」
「おいおいおい、俺は正義のために使ってる」
 柳東黎は椅子に座っていて、包帯をほどくと、痛みに顔を顰めながら傷に薬を塗った。
 体には驚くほどたくさんの傷が縦横に走っていた。子供の口ぐらいの大きさの傷口は、薬を塗るとあっという間に塞がり、処置をして一晩経ったかのようにあまり酷くは見えなくなった。
 柳東黎はホッと息をつくと、服を着て、真面目な様子で槐詩に向かった。
「色々と聞きたいことがあるんじゃないのか」
「……あ」
 槐詩はしばらく黙っていたが、気まずそうに頭を掻いた。
「本当ははっきりわかってはいて、別に聞きたいこともないんだけど、しいて言えば、天文会に帰浄の民の件をきれいさっぱり片付けて欲しいってことなんだ」
「実のところもう片付け始めている」
 柳東黎は難色を露わにした。
「だがいま俺たちが面している問題は、新海だけの事じゃない」
「うん?」
「昨晩、内部から掴んだニュースだ」
 柳東黎は困ったように溜息をついた。
東夏とうか全体の沿岸地区、新海も含めてだが、帰浄の民が発見された場所は六都市を越え、海上にまで奴らの漁船が浮かんでいた。つまり、今回奴らは大きなことをしようとして、力を集めている。
 実際、金陵きんりょう地区の辺境ハンターにはもう緊急動員がかかっている。東夏は天文会の干渉を強く拒絶していて、最終的には社保局が出動するだろう。
 ああ、社保局っていうのは、特事所の上層機関で、東夏の対昇華者しょうかしゃ管理部門だ。単独の隠密部隊で、お前も今後しょっちゅう付き合うことになるだろう。すぐに慣れるさ」
 槐詩は黙って、ぼんやりと頷いていたが、柳東黎の心配そうな表情に気づき、無理に笑った。
「悪い。昨夜はよく眠れなくて」
「それが普通だ。あんなことがあったら、誰だって眠れない」
 柳東黎は何もかも知っているかのように槐詩を慰め、熱い茶を槐詩の前に置いた。
「飲めよ、温まる。天文会の仕事をしていれば、そういうこともよくある」
 柳東黎は気を遣って昨夜の槐詩が我を忘れた事には触れなかった。
 槐詩が何かを隠していることには気づいていたが、柳東黎は詮索しなかった。生まれながら神通力を持った人間がいないように、欠点のない人間はいない。
 だがなんとなく、柳東黎には槐詩が以前と違うように感じられた。
 以前の少年とも、昨夜彼が見た悪鬼とも違うような。
 睡眠不足でぼんやりとした様子は、やっと長い夢から醒めて世俗に戻ってきたような印象を人に与えた。
 微笑している殻の中に何かが注ぎ込まれ、彼を以前と変えてしまった。
 柳東黎が不安げに考えていると、突然目の前でパンという音がした。膝を叩いた槐詩は、急に立ち上がって慌てた表情をしていた。
「しまった!」
「どうした?」
 槐詩は愕然と顔を上げた。
「いま思い出したんだけど――」
 ゆっくりと振り返る表情が緊張していた。
「今日はチェロの練習をしてない!」
「……」
 柳東黎は白目を剥き、何も言わなかった。自分の考えすぎだった。
こいつは一生バカなままだ!
 柳東黎の怪我が大丈夫なことを確認して、槐詩はそこを出る準備をした。 柳東黎には自分の居場所を言わないようにと釘を刺された。こいつは――影の監察官は、外国に行ったふりをして、この後また何かを調査しに行くのだろう。
 槐詩は了解した。柳東黎の仕事について聞きたいこともあったが、今日の午後は艾晴がいせいのところへ行かねばならず、実際時間がなかった。
 ドアを出ていく時、槐詩は柳東黎に呼び止められた。
「なあ、槐詩……」
 とうとう、柳東黎は心配を抑えきれずに言った。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
 槐詩は振り返り、柳東黎に向かって手を振った。
「心配ない。あんたが言ったように、俺は受け容れることを学ぶよ。だろ?」
 柳東黎は唖然とした。
ドアが閉まり、少年の足音が次第に遠ざかっていった。
「行ったのか?」
 さっきまで箱をひっくり返して殺し屋を迎え撃つ準備をしていた探偵は、少年が遠くへ去って行くのを見た。
そしてしばらくして、頭を振って溜息をついた。
「ああ、お前の弟はどうしてもう帰ってこないみたいに行ってしまったんだろうな?」
 柳東黎は困ったように溜息をつき、振り返って拳骨をお見舞いした。
「そのカラスのくちばしを閉じろ!」
  ※
 午後四時。空から降ってくる霧雨で辺りは濛々としていた。
 梅雨が始まった。
 幸い槐詩は雨に濡れる前に艾晴の家に着き、呼び鈴を押した。
 天文会の正式な職員で長期で新海にいるのは艾晴一人だけなので、ビルもオフィスも必要なく、彼女の家の二階の書斎をオフィスにしていた。
経費の借地代を艾晴が自分のポケットに入れているのだろうと、槐詩は自分を基準にして推測した。
 なんて羨ましい……
 門の外に来た時、柵の中の精緻な花園と独立した離れを見て、槐詩は思わず嫉妬した――同じ家なのに、どうして自分の家はあんなにボロいんだ?
 そうだ、こんどペンキを買ってきて外の壁を塗ろうか?
 それと新しい家具を幾つか買おうか?
 槐詩が思案していると、艾晴のメイドに家に入れられ、二階の書斎の前に案内された。
「お嬢様がお待ちです」
 女中はドアを開け、槐詩に入るよう促した。
 艾晴の書斎は、至ってシンプルだった。
 本棚も、いかにも雅な絵も花瓶ももなく、ただテーブルと来客用の椅子だけがあった。
 艾晴はパソコンで何かを書いていたらしく、眉を微かに顰め、槐詩が入ってきたのに気づかなかった。メイドがお茶を運んできて、小声で話しかけると、やっと我に返った。
「ごめんなさい。前任者が残していった問題について報告書を書いていたの」
 艾晴は頭が痛そうに額の端を揉み、顔を上げて槐詩を見て、ハッとした。
「どうしたの?」
「俺?別に何も」
 槐詩はぼんやりと笑ないがら、頭を掻いた。
「眠ってないせいかな?」
 艾晴は訝しげに槐詩を見ていたが、その言葉を信じたように、何も言わず、見たところ……何を言っていいかわからないようだった。
「何かあったのか?」
 槐詩は尋ねた。
「いいえ、何も!」
 艾晴は首を振って否定し、深呼吸をし、ゆっくりと息を吐いた。取り乱したところを見せたのは珍しかった。
「そうだ、私が呼んだのね。どうして呼んだんだった?」
「ええと……」
 槐詩には自信がなかった。
「宅配のことを言われたような?」
「そう、宅配」
 艾晴は眉間を揉み、しばらくして唐突に言った。
「私の勘違いだった。言おうと思っていたのは、紅手袋べにてぶくろの懸賞金が下りたっていうこと」
「え?」
 槐詩は何のことだろうと思った。
緑日ろくじつの人間にはだいたい天文会と各国の懸賞金がかけられている。殆どは人件費のようなご祝儀程度だけど、合計すればけっこうな額になるわ。
 全部で三百四十七万ドル。後であなたの口座に入れておく」
「は?」
 槐詩はしばらくぽかんとしていたが、天から三百四十七万ドルが降ってきたと聞いて、望外の喜びにしどろもどろになった。
「ああ!ああ!ありがとう!」
 艾晴はしばらく沈黙していたが、机の下の箱をちらりと見ると、複雑な表情になった。そしてとうとうそれを取り出さなかった。
「おめでとう」
 艾晴は言った。
「これで、もう命を売る必要はなくなったわね」

訳注:
「カラスのくちばし」……言ったこと(特に悪いこと)が本当になる、という意味の言葉です。これが探偵の持つ霊魂能力です。

訳者コメント:
突然大金が手に入った槐詩です。艾晴の言うとおり、もう危険な任務に就かなくてよくなったわけですが……

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