『天啓予報』第15章 博愛公益
第十五章 博愛公益
槐詩は驚き、振り返って背後に立っている女性を見た。その女性は痩せていて顔色は黄色く、夏なのにすっぽりと被っている毛糸の帽子は髪の抜けた痕を隠していた。
「……嫂さん?」
しばらく会っていなかったので、槐詩にはすぐにわからなかったが、腹黒紹介業の楊の妻だった。前に槐詩が会った時は、彼女は腰まで黒髪をのばした、バラ色の頬をした美人だった。いまは、頭髪はなく、顔色も悪かった。
だが笑顔は相変わらず温かく和やかだった。
「ああ、この二日ここであなたが働いてるって楊が言ってたけど、私信じられなかったの。でも本当だったのね……」
槐詩の返事も待たず、彼女は近づくと、買い物袋を持っていない方の手で槐詩を引っ張った。
「ご飯まだでしょ?今日は楊の誕生日だから、家に食べに来て!」
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三十分後、食卓の上の熱々の鍋を挟んで、もうもうと上る湯気の中、槐詩と楊は無言で対峙していた。
しばらくして、楊は振り向いてちらりと厨房で忙しくしている妻を見ると、また槐詩の方を向いてひそひそと言った。
「来いと言ったら、本当に来やがった……」
「当たり前だろう?」槐詩は膝を叩いた。「あんたが飯を食いに来いって言ったんじゃないか?」
「社交辞令だ。真に受けるなんて……」
「あんたが俺をホストにしようとしたことも真に受けるなって?」
「それは誤解だ」
楊は天井に視線を泳がせた。
「それに、楽しくやってるんだろ?同僚まで連れてきて。『千里の馬は常にあれど、伯楽は常にはあらず』というが……」
「いい加減にしろ!」
槐詩は怒った。こいつが仲介料のために良心を捨てなければ、槐詩が今のような境遇に陥ることもなかったではないか?
「食べないのか?腹が減った」
客間の隅にいた柳東黎が顔を上げて聞いてきた。こいつも遠慮というものを知らない奴だ。食事に招かれるとほいほいついてきて上がり込み、金魚鉢の金魚に楊が買った餌を勝手にやって遊んでいる。
ドケチの楊は目玉が飛び出るほど腹を立てた。
「さあさあ、お待たせしました。食べましょう」
楊の妻がおかずを持って厨房から出てきて、柳東黎に一緒に食べるよう声をかけ、ついでに皆の分の調味料を注いだ。そして楊の不機嫌そうな様子を見て、彼をじろりと睨んだ。
「槐詩くんは滅多に来ないんだから、仏頂面してないの。ねえ、あなたが槐詩くんの同僚?本当にかっこいいわね……さあ、食べて食べて」
妻にひと睨みされ、楊のふくれっつらもしぼんだ。しおしおと肉を鍋に入れ、槐詩から仲介料をもらっていないとかなんとかぶつぶつ言っている。
楊の困り顔をおかずにして、槐詩はメシウマだった。食べ終わると楊は厨房に食器洗いに追いやられ、槐詩は客間で楊の妻とお喋りをした。彼女の顔色はさっきより随分とよくなっていた。楊が良心を殺して稼いだ金は役に立っているようだった。
「一日生きれば一日寿命が減る。一日はどう生きても一日」
楊の妻は槐詩が止めるのも聞かず、平然と煙草に火を点けた。
「この病気で苦しむのが私一人ならいいけど、楊にも迷惑をかけているのが心苦しいの」
「そんなこと言わないでよ、嫂さん」
厨房で聞き耳を立てていた楊が顔を出し、怒った。
「李雪梅、なにしてるんだ?先生は何て言った?煙草を消せ、いますぐ!」
「なによ?」
楊の妻は振り返って夫を見た。
「……」
楊の脚から力が抜けた。彼は力なく言った。
「煙草を消してくれ、頼む」
「もうちょっとだったのに」
楊の妻は得意げに槐詩を見ると、灰皿に煙草を捨て、槐詩に囁いた。
「見た?これから楊があなたを騙したら、私がとっちめてあげるから」
「そりゃいいや」
槐詩は目を輝かせた。毒蛇の百歩以内には解毒薬があるという。世の中上には上があるというのは本当だ。
片付けも終わり、楊はタダ飯を食った奴らを送るためにエプロンをつけたまま家を出た。
途々、楊は妻と楽しそうにお喋りをしていた柳東黎をずっと気に入らないという様子で睨んでいたが、柳東黎がタクシーを呼びに行くと、振り返って槐詩を見た。
奇妙な目つきをしていた。
「どうかしたのか?」
槐詩は無意識に一歩後ずさった。殴られるかと思ったのだ。
楊は疑いの目で槐詩をじっと見ていたが、槐詩を引っ張ると、声を低めて尋ねた。
「お前、誰かを怒らせたか?」
「え?」
槐詩は警戒しつつ、楊が話すのを聞いた。
「昨晩、お前の情報を大金で買いに来た奴がいる」
「何も喋ってないよな?」
槐詩は緊張した。
楊は白い目で槐詩を見た。
「バカ言え。俺が喋らないような人間か?」
「それなら……待て?!」
槐詩は楊を見た。
「喋ったのか?」
楊は溜息をつき、指を五本立てた。
「ある人がお前の情報を五万で買うと言った。俺が売らなくても、お前の学校の誰かがお前のことを売るだろうと思ったんだ。よくよく考えろ、最近人に顔向けできないようなことをしなかったか?」
「……」
こいつの本性はとっくに知っていたが、槐詩はやはり殴りたいという衝動に駆られた。
楊はエプロンをまくって何かを取り出すと、槐詩のポケットに押し込んだ。
槐詩はポケットを探り、驚いた。
二巻きの分厚い札束だった。
厚みからして少なくとも二万元以上はある。
「今回は兄さんが不義理をした。すまんことをした……実際金がなくて。腹が立ったなら殴ってくれていい」
楊は項垂れて謝った。
「その金を持って何日か地方に行け。俺が調べて、安全だとわかったら連絡する」
槐詩は思いもかけず楊が良心を発揮するのを見て、複雑な心境になった。 なんと言っていいかわからなかった。何度も騙されたが、楊が反省して金を渡すのを見て、少し感動してしまった。
殴りたい気持はあったが、楊の妻の青白い顔を思い出すと、力が入らなかった。
しょうがない。苦境を共にしてきた兄弟だ。自分を騙さなければ、妻が死ぬことになるのだろう?
「俺の情報を買ったのは誰だ?」
「名乗らなかった。怪しい奴だった」
楊は煙草を取り出して火を付け、煙をふかしながら考え込み、唸った。
「俺もどうかしてた。なんで車のナンバーを控えておかなかったんだろう?だけど鞄から金を出す時に、ちらっとマークが見えたんだ。慈善団体みたいな、大げさな名前だった」
楊はしばらく頭を掻いていたが、パンと後頭部を叩いた。思い出したのだ。
「——博愛公益!」
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二時間後、槐詩は装甲車に乗っていた。周囲の完全武装の兵士たちを見て、槐詩は呆然としていた。
生とはなんだ?
何のため生きる?
どのように生きる?
人生の三つの問いが槐詩の頭蓋骨を満たしていた。
訳者コメント:
仲介業の楊さんはなんだかんだいい人です。