『天啓予報』第4章 おっふ

第四章 おっふ

 マジックミラーの向こう、気まずい静けさの中、特事所の職員たちは思わず腰の銃に手を伸ばした。おかしな噂が広がる前にこの恥知らずの口封じをしなければと考えたのだ。
 艾晴がいせい だけが相変わらず淡々と、コーヒーのカップを持ち上げて一口飲み、車椅子のポケットからぶ厚いサングラスを取り出してかけた。
「続けて」
 伝所長は少し躊躇ったが、机の上のマイクに向かって言った。
「続けろ」
 ナンバーワンホストは思いがけない再会にしばらく戸惑っていたが、前髪を掻き上げると、にこりと微笑み、握手の形に手を伸ばして言った。
「よろしく、俺は柳東黎りゅうとうれい……」
「はっ!なにがよろしくだ!」
 槐詩は怒り、手錠をかけられた手で柳東黎を指さし、ドアの外に向かって叫んだ。
「通報します!この男は非合法の仕事をしています。つまりホストの元締めです。騙されないでください!」
「……」
 柳東黎は呆れたように溜息をつくと、ふいに人差し指を上げ槐詩の目の前に差し出した。
「俺の指を見て」
「やだね!」
 槐詩は愚かにもまんまと柳東黎の罠にかかった。指から視線を逸らせようと顔を上げ、うっかりと……柳東黎の顔を見た。
 柳東黎の白皙の肌とスラリとした首筋、美しい線を描く通った鼻筋、深い海のような眼差し。幾筋かの髪が眉間に落ちかかり、寒い冬の夜空に煌めく星のような瞳を半ば隠している……
「おっふ!」
 瞬間、槐詩はまるでバカのようになった。なぜかはわからないが、突然胃がひっくり返るような感覚がした。
 槐詩は心の中で自分を責めた。どうしてこんなに美しい人に対して酷いことを言ってしまったのだろう。槐詩の青白い顔に笑みが浮かび、口からは涎が流れ出した……
 人間が丸ごとアホ化した。
 槐詩は柳東黎の手を握って、ぐだぐだと話し始めた。
「お兄さん、また会えましたね。ああ、この間はとても失礼な態度を取ってごめんなさい。僕は槐詩、今年十七歳です。僕のことを覚えてますか?」
この時、槐詩だけではなく、マジックミラーの向こう側でもいくつかの口が「おっふ」と声を漏らしていた。真面目一徹の中年男性である伝所長すら顔を赤らめ、軽く咳ばらいをした。
 だが大きなサングラスをかけた艾晴は淡々とコーヒーを飲み、手を伸ばして通話ボタンを押した。
「あなたを呼んだのは色気を振り撒かせるためじゃない。霊魂能力の出力を抑えて。真面目にやりなさい」
「はいはいはい」
 柳東黎は手を上げて黒縁の眼鏡をちょっとおさえると、椅子に座って槐詩に向き合い、春の日だまりのような暖かな笑顔を見せて尋ねた。
「ねえ君、俺たちはもう知り合いだよね。いくつか質問に答えてくれるかな?」
「ええ、ええ」
 槐詩は握った手を放さず、涎を流しながら、バカのような顔で言った。
「何でも聞いてください、何でも答えます!銀行のカードの暗証番号は18191……」
「コホン、それはいい」
 柳東黎は慌てて手を振り、それから手に持ったファイルを開くと、軽く咳払いをした。
「昨夜は君、どこにいた?」
「家です。寝てました。何度も悪夢を見て、死ぬほど驚きました。どんな夢かっていうと……」
「ただ寝てただけ?」
 柳東黎は悪夢に興味を示さず、話を遮って質問した。
「そうです」槐詩は頷いた。「夜中に出かける用事もないし、それに昨夜は酷い雨が降ってました。あんな大雨の中、わざわざ出かけたりしませんよ。そうだ、うちはボロいけど広々してるし、今度ぜひ遊びに来て……」
「コホン。次の質問だが」
 柳東黎は再び話を遮った。
「それじゃ君が警察に届けた箱だけど、中には何が入ってた?」
「知りません」
 槐詩はあっさりと首を振った。
「誰があんな得体の知れない箱を開けるもんですか!本当にびっくりしましたよ、突然人が襲い掛かってきたかと思ったら血を吐いて……」
それから小一時間、柳東黎はファイルの中に書いてある質問をしたが、槐詩の話はあちこちに逸れて、質問の順序もめちゃくちゃになり、話は脱線しまくった。
 マジックミラーの向こうから艾晴の声がした。
「もういいわ」
 柳東黎はホッとして、槐詩の手から自分の手を引き抜いた。
 柳東黎が長い溜息をついた時、槐詩は突然目が醒めたかのように、呆然と柳東黎を見た。いったい何が起こったのかわからなかった。
「おえっ!」
 槐詩は椅子から立ち上がろうとしたが、手錠が付いているため立ち上がることができず、体をくの字に折って激しく嘔吐した。
「この変態!俺に何をした!おえっ!……」
 言い終わらないうちに、また吐き気がこみ上げた。槐詩は吐きながら思わず泣きだした。
「畜生!まだ女の子とも付き合ったことないのに、変態男に惑わされるなんてひどいじゃないか!」
「すまん。俺もこんなことはしたくなかったんだが……」
 柳東黎はこのような情況には慣れていたので、同情してコップの水を差し出した。
「腹が減ってないか?よかったらお詫びにメシでも……」
「おえっ!」
 柳東黎の話が終わらないうちに、槐詩はまた吐いた。
マジックミラーの向こう側でも、嘔吐をこらえる音がしていた。
伝所長が顔色を青くして激しく傷む胃を押さえていると、誰かが胃薬と白湯を差し出してきた。
 黙ってずっと艾晴の傍にいた女性の付き人だった。
「ありがとう」
 伝所長は無理をして笑顔を作り、薬を飲んだ。
「どう?」艾晴は言った。「言ったでしょ、何も聞き出せないって」
「演技かもしれん……」
 伝所長は掠れた声で言った。
「柳東黎の霊魂技能『魅惑』は、普通の人間には有効だが、昇華者しょうかしゃには必ず通用するとは限らない」
「柳東黎の技能が効いたかどうかもわからないの?それに、中二病まっさかりの時期の男子に、あそこまでプライドを捨てた演技はできないわ……どんな手を使おうと、これ以上何も聞き出すことはできないと思うけど」
 艾晴はじっと伝所長を見た。
「諦めなさい」
 柳東黎がミラーの向こうから艾晴たちのいる部屋に戻って来た。
「ファイルを見た。もしこのガキに嫌疑がかけられているなら、彼にはアリバイがある」
 柳東黎は手に持ったファイルを机に置いた。
「埠頭が爆破される三分前、あいつはうちに面接に来たんだ。たった三分じゃ現場まで移動できない」
「面接?何の?」
「ホストの……おおかた仲介屋に騙されたんだろう。途中で気づいて逃げ帰ったよ」
 柳東黎は首を振り、ファイルの槐詩の証明写真を見て、顎に手をあてて感嘆した。
「俺の見立てじゃ彼にはなかなか素質がある。だが着てるものがまずいな。ちゃんとしたスーツを着せて、あのふてぶてしい笑顔をやめさせて、禁欲系男子にイメチェンすれば、絶対におばさまたちのハートを鷲掴みに……」
「そこまで。あなたを呼んだのはあの少年に仕事のレクチャーをさせるためじゃない」
 艾晴は話を遮った。
「今回は一般人が事件に巻き込まれただけ。秘密保持契約書にサインさせて釈放しましょう。これ以上は時間のムダ」
十五分後、心を踏みにじられた槐詩は大量の書類にサインさせられた後に車に押し込まれ、去って行った。
「口封じされる!殺される!」
 柳東黎はポケットに手を入れてドアの前に佇みながら、叫んでいる少年を見送った。
 柳東黎は思わずクスリと笑った。
「そうだ、彼の名はなんて言ったっけ?」
 柳東黎は前を向いたまま背後の艾晴に尋ねた。
「槐詩」
「知り合い?」
 柳東黎は妖しく目を細めて笑った。
「だから彼を釈放させた?凄腕ホストの直感を侮らないでほしいな、艾さん」
柳東黎の予想を裏切り、艾晴は相変わらず淡々と答えた。
「ええ、知り合いと言っていいわ」
「親しい?」
「いいえ。子供の時に遊んだだけ。私は三歳年上だった」
「へえ?」
 柳東黎は驚いて振り向いた。二人の間にそんな因縁があるとは思いもよらなかった。
「その後は?」
「その後?」
 艾晴は柳東黎を一瞥して、言った。
「その後は……私の祖父の裏切りによって彼の家は破産した。それきり会ってない」

訳註:
おっふ/ 哦呼……漫画『斉木楠雄のΨ難』の中で、作中人物が、ヒロインである超絶完璧美少女·照橋心美(てるはしここみ)の美しさに驚いて漏らすセリフです。

訳者コメント:
昇華者しょうかしゃ』というワードが出てきました!それと、ナンバーワンホストが柳東黎りゅうとうれい再登場しました。なにやら不思議な能力を持っているようです……?

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