『天啓予報』第7章 持ちたい!

「ごめんなさい。行きたくないし、時間もないわ。ありがとう」
 埠頭。
 艾晴がいせい はしつこく食事に誘ってくる男を冷淡に拒絶すると、車椅子を操作して非常線の内側に入っていた。
 追ってきた男は事件現場を保守している警官に止められ、気まずい顔で仕方なさそうに帰っていった。
「わお、血も涙もない」
 柳東黎りゅうとうれいは壁に寄りかかって感嘆した。
「そんなにつれなくしなさんな、艾さん。キープしといてもいいんじゃないの?」
 艾晴は車椅子を柳東黎の近くに停めた。
 少女は無表情に柳東黎を見ると、じっと彼の頭髪を見て、視線をそらし、それからゆっくりと口を開いた。
「もし私が、自分のことを少しでも知っている人間なら、簡単に分ることよ。脚の悪い裕福な女を愛する男なんかいない」 
「はあ……」
 柳東黎はしばらく呆然としていたが、強いて笑顔を作った。
「そうとも限らないさ。君は美人だし、愛は理屈では語れないものだ」
「そうね。だから私も語らない」
 艾晴は柳東黎を見た。
「それに私はお金持。お金を払ってあなたに仕事をさせている。もうすぐ天文会の審査があるけど、あなたは目の前の審査員にホストの軽薄さを語らない方がいいわね」
 柳東黎は困ったように肩を聳やかし、もう喋らず、おとなしく彼女の後ろを付いて行った。ボディガードは前途のある職業だ。
 大雨の一夜が過ぎ、埠頭の現場はすっかり洗い流され、手がかりも踏み荒らされていた。
 爆発現場の倉庫は殆ど壊滅しており、至る所泥だらけで、コンテナの破片がごちゃごちゃと折り重なっており、ところどころに血が煤に混じって付着している。
「見事だわ」
 艾晴は感嘆した。
「……それは皮肉?」
 柳東黎が尋ねると、
「いいえ。心からの誉め言葉」
 艾晴は眉を上げて、珍しく楽しそうな表情を見せた。
「辺境の遺物に関わる凶悪犯罪は千差万別、そもそも解決が難しくて、手掛かりを見つけるのも至難の業。解決できなければ、私の評価にマイナスがつく。だけど、もし内部に裏切り者がいれば、私は何の責任も取らなくて済む。もし統括局に責任を問われても、その裏切者をスケープゴートにすればいい」
「……」
 柳東黎はまなじりをピクピクとひきつらせた。こんな腹黒い連中に比べたら、一介のホストである自分はまるで天使のようなものだ。
 この時、艾晴のスマホが震えた。
 艾晴は手元のスマホを操作すると、ハッとし、何かを考え込んでいるようだった。
 しばらくして、艾晴はアプリを閉じた。
「どうした?」
「また死体が発見された。全員が麻薬の前科持ち」
 艾晴は指で器用にスマホをクルクルと回しながら、感心したように言った。
「死ぬ前に拷問を受けたのね。死相は悲惨だった」
「また霊安室に行かなきゃならないのか?」
 柳東黎は、やるせなさそうに溜息をつき、顔を撫でた。
「あそこの空気はお肌に悪い」
「わざわざ醜いものを見に行く必要はないわ」
 艾晴は車椅子を操作すると、淡々と言った。
「現場の視察も終わったし、ここで解散しましょう」
 柳東黎は驚いた。
「……もう手がかりをつかんだのか?」
「現場も見たし、検死報告書にも注意すべきことが書いてあった。税関に申請しているコンテナの中身は欧州行きの電子製品で、会社はペーパーカンパニー。でもそんなところを叩いてトカゲの尻尾を捕まえても何も出てこないでしょう」
 柳東黎は唖然として聞き入った。
「痕跡を見ればわかるわ。倉庫内での争いは仲間割れ……きっと辺境の遺物で私腹を肥やそうとしている奴らが、分け前を巡って揉めたのね。この事件は、私たちが追っている事件と、きっと関係がある。それよりも気になるのは――」
 艾晴は手を伸ばし、ほっそりとした二本の指で粉の入った小さなビニール袋を取り出した。
「それは?」
 柳東黎は完全に漫才のボケ役になっていた。
「現場で見つかった麻薬。新型の」
 艾晴は続けて言った。
「科捜研の検査結果では、源質が混入されていたそうよ。つまり……」
「箱型の辺境の遺物から作られたものだっていうのか?!」
柳東黎はゾッとした。もしこの麻薬が既に世間に流通しているならば、とんだ重大事件である。
 艾晴は静かに言った。
「もし、私がこれを上に報告したら、私の足を引っ張ろうとしていた奴らには、困ったことになるんじゃない?」
そうだ、新海の麻薬捜査班はもちろん、特事所の上層部も進退に関わる責任を取らされることになる。
「……待った!」
 柳東黎はうなじに寒気を感じた。
「そんなことを軽々しく俺に話して、俺がうっかり口を滑らせるとは考えないのか?もし俺が誰かに……」
「そう。口を滑らせてほしいから話したのよ」
 艾晴は気ままに指で挟んだ小さな袋を揺らし、淡々と言った。
「あなたはコミュニケーション能力に自信があるんでしょ?いますぐに奴らに話してきて。奴らの命は私の手の中にあるって。もしこれからもぬくぬくと生きていきたいなら、私に向かって尻尾を振るのが賢明だってね……」
 柳東黎は麻薬所持の容疑でその場で艾晴に逮捕された。
 艾晴の政敵たちはこの件を揉み消し、柳東黎は釈放されるだろう。もし揉み消されなくても、柳東黎がスケープゴートとなって艾晴の地位は安泰である。どちらに転ぼうと、艾晴は利益を得ることはあれ、損をすることはない。
 だが柳東黎は、艾晴の政敵を黙らせることができなければ破滅するしかない。冤罪など、訴えても無駄である。
「奴らが大人しくなれば、あなたも事件解決のために動きやすくなるじゃない」
「誰が事件解決のために動くって?」
 艾晴は振り向いた。目には嘲笑の色があった。
「でも、お偉方との『いい関係』は持ちたいでしょう?」
 すみません。一ミリも持ちたくないです!
  ※ 
  ※
「持ちたい!」
 一方槐詩かいし の家。
 烏鴉うやの質問に対し、少年は頷き、考える間もなく答えた。
 霊魂を持ちたい?
 突如突き付けられた悪魔の誘惑のような問い掛けに、普通の人間ならば答えを躊躇うところだが、槐詩は違った。
 連日奇怪な事件に出くわし、さらに自分の陥っている困窮具合いから、槐詩は異常に大胆になっていた。どうせこのままでは死ぬしかないのなら、何を恐れることがあろうか?
 霊魂がどんなものかは知らないが、それを望むことを妨げるものはなかった。霊魂だけではなく、金も、力も、女の子も……とはいえ、霊魂というものは人間が皆持っているものではないのか?
「童話では、いつも主人公は最後は幸せになれるけど、あなたはどう思う?」
 予想通りの結末は彼女は好きではないと言い、やる気なさそうに解説を続けた。
「常人と昇華者しょうかしゃの違いは、霊魂の存在。
 すべての人類の源質が投影され集まっている『白銀の海』、それは目に見えない海で、想像できないほど大きく、すべての世に存在する人智はそこから流れ出た支流に過ぎないの。
 昇華への道は、自身の鉄石の本性を白銀の海を潜り抜けさせ、黄金の魂に昇華させる――それが錬金術の最初の目標。
それこそが、霊魂を持つことができた人間を『昇華者』と呼ぶ所以なの。
さもなくば、自分自身の知識と意識は大脳神経の中でふわふわと漂う火花でしかなく、現境の外側にある暗黒と風雨には立ち向かえない……」
「お前がよく言う『現境』と『辺境』は、別の世界なのか?」
 槐詩は質問を差し挿んだ。
「程度によるけれど、ひとつではなくて、千万以上の……」
 烏鴉は怪しく笑った。
「だけど、いま考えるべきことは、どうやってあなたの霊魂を覚醒させるかということね」
 槐詩はただ一心に耳を傾けた。
「現在、白銀の海は天文会の守護と管理のもとにあり、天文会は昇華者を管理をしているの。白銀の海と全人類の源質の総量から、毎年だいたい三百から四百の人間を覚醒させ昇華させているわ。その昇華者候補の名簿は十年先まで埋まっている……だけど、殆どの昇華者は天文会の管理の外で勝手に覚醒しているの。あなたもそうするのよ」
 槐詩は唾を飲み、真剣に頷いた。
「それで?」
「他の人にとっては、とても困難なこと。現代人が都会を離れて一人で荒野をさまようよりももっと危険なことよ。なんの装備もなく、ロケットに乗って大気圏を飛び出すような――白銀の海の引力から抜け出すだけじゃなくて、色々な思いもよらない試練を乗り越えなくちゃならない。誰も自分の行く路の先に何が待っているか知ることはできないの。
成功するには、実力と運のどちらも必要。十分な源質だけでなく、強烈な刺激とちょうどいいきっかけ、そして少しの幸運……宝くじに当たるようなものね。昇華を試みて成功するのはほんの一握りよ」
「もし失敗したら?」
 烏鴉は笑い、何も言わなかった。槐詩はゾッとした。
「安心して。あなたにその心配はないわ」
彼女は羽根で槐詩の肩をポンポンと叩いた。
「あなたには運命の書がある。他の人が筏で大海に乗り出すとしたら、あなたは大船に乗ったようなものよ!」
「それで……いったい何をすればいいんだ?」
「簡単よ」
 烏鴉は言った。
「ただ人を殺せばいいの」
 烏鴉は槐詩をじっと見た。
「もしあなたが自分の手で人を殺せば、運命の書の記録はもっと具体的になるの。それだけじゃなくて、一人殺せば、一人分の技能が身につき、十人殺せば、天才になれるってわけ。殺せば殺すほど、槐詩、あなたは強くなれるのよ」
 烏鴉は少年の耳元でそっと囁いた。
「大勢の人間があなたをバカにしたでしょう?あなたは彼らの死を願うぐらい恨んでるわよね?同級生と教師だけじゃなくて、あなたを捨てた両親も……この世界はあなたに優しくなかった。慈悲の心を持つ必要があるかしら?」
 槐詩はうつむいた。
 あ、やっぱり驚いた?
 烏鴉はこっそりと面白がった。
 だが槐詩が顔を上げた時、烏鴉の目に映ったのは……喜びの表情?
「本当に?」
 槐詩はまだ少し疑うように言った。
「ただ人を殺せばいいのか?」
「……」
「じゃあ李舞陽りぶようからろう」
 槐詩は指折り数えながら言った。
「叔父の権力をを笠に着たいけ好かない野郎だ。死んでよし!それから奴に色目を遣っている女も。二人のまとめてやってやる……英語教師は三人目だ。いつも授業中俺のことをバカにしてくる……そうだ、俺を泥棒扱いしたデブも。奴のアニキもろくな奴じゃない。学校でケンカばかりしてる。俺は害虫を取り除いてやるんだ。そうだろう?クソ仲介業の楊も、俺が苦労して稼いだ金を口先三寸でピンハネしやがって……」
 言いながら槐詩は、楽しそうに烏鴉を見た。
「――死んで当然の奴らだ。俺にそれだけのことをした。だろ?」

訳者コメント:
いきなり主人公闇落ち?!


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