社内の誰にも負けないものを見つけなさい!
今回は長い間ボンクラのままでいた理由は何か⁉
それをどう乗り越えたかをお話ししていきたいと思います。
結論 失敗を前提に社内起業をして
ください。
Index
1. 新しい事業部が用意されていた。
2. 失敗の本質
3. 事業部廃止の末路に伴う二代目の悲し
い現実
4. 失敗したボンクラが従来の事業を立て
直すまで
5. やはり重要な財務知識と未来の為の財
務分析
6. 先代社長への提言
1. 新しい事業部が用意されていた。
5年ほど東京で2社のアパレルを経験し田舎(実家)に戻ることになりました。
まあそれも自分の意志というより父がそろそろ戻ってきて手伝えよ。
というような感じだった記憶があります。(このあたりからしてダメダメですよね😁💧)
用意されていたのは父の長年の夢でもあるレディスアイテムのアパレル事業でした。
その当時核となる事業は外注を利用した大手アパレルのOEM生産(創業はレディスの縫製工場)と子供のフォーマル(男の子のスーツ)の専門アパレルという二つの事業でした。
東京の専門店向けのアパレルで営業をしていましたので、田舎のメーカーは大阪千場あたりのオババ向け商品しかやってはいけないんだよなあ。俺のセンスなら楽勝、逆にビックリしてもらえるなんて思っておりました。しかしそのオババ商品を企画して営業しても全く売れませんでした。
それまでの営業としての自信も音をたてて崩れました。ガラガラ―😢
全く方向が見えないまま時間を無駄に過ごしておりました。そしたら親父にお前は今まで何をやってきた⁉️と怒鳴られたのです。
そうかオババの商品なんて理解出来ない物じゃなくて東京での経験を生かした洒落た商品を作れば良いのだ‼️
従来お世話になった方々のアドバイスや支援がありましたからそれなりに東京のショップでも売れるようになりました。
2. 失敗の本質
しかし開拓営業が苦手な私は他人に頼りました。東京にいたころお世話になった得意先以外は結局ひと任せ、他人頼りの性格でリーダーとして具体的な方向性などを示せないただの企画の兄ちゃんで終わってました。
その当時親父は私に自分が出来ないなら誰か連れてこいと私に常々言っていたことが要因のひとつだったかも。それ自体は正しいのですが中途半端な人間にそれを言うと良くないですね。
PLの意識が全く無く、信じられない事だけど費用の考えが無かった為小さな損失の垂れ流し。でも金はそれなりに補充されてしまう。それって経営じゃないですよね。
会社の屋台骨を揺るがすような得意先の倒産や様々な引っ掛かりも経験しました。これも本来なら財務内容が貧弱な先に売ることは絶対駄目なのですがそれをやめさせると売り先が無くなるので親父も見て見ぬふりでした。
これは大学まで行かしてやったんだ、そのくらいのことは解るだろうとの親父は思ってたと思います。
二世はそんなことわかるような苦労はしていません。
3. 事業部廃止の末路に伴う二代目の悲しい現実
それなりに商品は売れだして得意先からも評価は受けてました。
しかし部下の顧客開拓も売り上げも言い訳ばかりで伸びませんでした。
これは私の方向性の示し方や具体的な行動指示が無かった為だと思います。
そんな状況で毎朝トイレで溜め息をつきながら会社に出勤していました。
どうして良いのか全く分かりません。
採算ベースにはなかなか達しないまま時が過ぎていきました。
その時親父からもうその事業を止めろという指示がきました。
その時、あっ!止めて良いんだと思いました。
それまで自らやめるという選択肢が出てこなかったのか?
少しはあったはず、でもやはりやらされていただけなんです。
情けない話が自分で決めることが出来ないんですよね。やらされてるから。
今でも思います。もっと早く止めとけば損失も軽くなった筈です。
長くなりますから次回続きを書いていきたいと思います。
次回はどう自分と事業に修正を加え、突然のアクシデントにも耐えうる財務体質を作るための知識の重要性をお話したいと思います。