地獄のマナー研修で出会った、ロールモデル
私の憧れの女性像。
名前も顔も覚えてないけれど、それは10年前に受けたセミナーのマナー講師だ。
パワハラとして企画された地獄のマナー研修
当時私は入社2~3年目の29~30歳。
総務課長である直属の上司から、その上司と反りが合わない社員に関する密告を求められ、私が「思いあたりません」と回答したのをきっかけに、以降密室に呼び出されては「あなたの為」との枕詞付きで退職願いを書く様に連日詰められるいうパワハラを10年断続的に受けていた。
そんなある日、上司は当時「厳しすぎて大人を泣かせるマナー講師」が頻繁にメディアに取り上げられていたのを見たのか「職員研修」の名の下に、気に入らない職員を集めてのマナー研修を企画しはじめた。
相手はマナー講師。上司もついつい緊張するようで、その研修について電話で打ち合わせをする時は、いつになくハキハキ声を張って話す。その為、上司が言う内容は全て私にも丸聞こえになる。研修日が近づいてきたある日、「ハイ!もう、ビシバシやって思いっきり泣かしてください。ええ、特に○○という職員(私の事)は態度悪いんで、重点的にしごいてください」と話す上司の声が聞こえる。私は目の前が白くなり周囲の音がフェードアウトしていくのを感じた。そして以降、ずっと生きた心地がしなかった。
その日の帰り、本屋に寄ってマナーの本を買って鏡を見ながらの予習が始まった。それでもなかなか不安がおさまらない。そうして刻々とXデイは近づく。
当日、午後からの研修に向けて先輩や同僚たちと入ったランチの店で、私は全くご飯が喉を通らなかった。久しぶりの外出にはしゃぐ同期や先輩。ぐるっと顔ぶれを見ると、上司が普段から役員に何かと告げ口をしているメンバーばかり。
なるほどな。そして私もその顔ぶれの中の一人として、ここにいるということは、きっと…。これから我々の身に起こることを想像するだけでも気が遠くなりそうになる。そもそもこの研修会にある隠された意図を、課の違う他の参加者達は知らない。私が見聞きしたことを彼らに伝えたほうが良いのだろうか?聞いたところで嫌な気持になるだけなのでは?でも心の準備ができる分、傷つきが少なくて済むかもしれない?でもこんな大人げない企画を信じてもらえるのだろうか?
結局自分の中で結論が出ないまま、無邪気に展開する会話を上の空で聞きながら店を出て会場に向かう。
ついに研修が始まる・・・
会場に着くと、ちょうど先に出発していた上司が講師に挨拶をしているところだった。「今日はよろしくお願いします!!!」と主催者である上司は、いつになくテンションが高い。そして講師に再び、「○○のこと(私の事)、特によろしくお願いしますね!!」とダメ押しし、「分かりました」と講師も微笑むのを見て、私は「・・終わった(絶望)」と思った。
驚き、衝撃、憧れ
数時間後、その建物を出た時、私は予想外に清々しい気持ちだった。
予習のかいがあったのか、自分自身そつなく講習内容をこなせた事もホッとしたけれど、何より驚きそして衝撃的だったのはマナー講師は私を他の参加者と同じ様に扱い、出来たところは褒め、足りないところは「こうすればもっと良くなる」というフィードバックをくれた事だった。本当に見事なまでに良くも悪くも特別扱いは全く無く、理論的で良い意味での緊張感のある、まさに「本物」の研修だった。
それまで私は「クライアントである我が上司のオーダーがどんなに理不尽であっても、講師というサービス業である以上、客の言いなりになるのだろう。それしか選択肢は無いもの」と思い込み、それこそ斬首台に向かう囚人のような気持ちで研修が始まるまでの数日間を過ごした。でもそれは私が講師を見くびっていたのと、そういうかわし方の選択肢がある事を知らなかった自分の了見の狭さだったということをその時つくづく感じた。
講師は長年客室乗務員を務め、その後は後進の育成、そしてセミナー講師というキャリアを歩んできた人だった。サービス業でありながらも、事故などの有事の際は客を従わせる法的立場も持つ客室乗務員。その矜持を垣間見た気がしたし、終了後も文句を言わせない凛とした空気と笑顔で我が上司を圧する聡明さ。プロとはこういう人のことを言うのだと体感した。
恐怖は大切な記憶、そして目標へ
あれから10年の月日が流れ、当時の上司は今年の4月から最重要ポストである事務局長になる事が決まり、私は再び始まったパワハラをきっかけに去年の秋、その会社を去った。けれどあの時のマナー講師の印象は今も私の中に鮮烈に残っている。そしてあの柔らかくキリッとした聡明さ。おそらく私の中で永遠にロールモデルとして残るのだろう。