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三国志の2文字武将って多くない?
曹操、劉備、孫権、呂布、趙雲、関羽、張飛、周瑜......
諸葛亮、司馬懿、夏侯惇は三文字ですが、苗字が二文字の復姓ということで、名前はやはり一文字のみです。恐らく私たちが知っている三国志に登場する武将の名前は全部一文字です。
時間を進むと、唐の太宗は李世明、宋の太祖は趙匡胤、明の太祖は朱元璋、この三人は苗字一文字で名前が二文字、やはり三国志の時代が特別でしょうか?
実は秦、漢、晋、南北朝、隋まで基本名前が一文字です。いわゆる複名は身分が低い人だけつけます、もちろん好きでつける人ほとんどいません、二文字名前の人は大体罰として付けられます。
唐からやっと複名がありましたが、やはり単名が主流です。宋になってからまたがらっと変わり基本複名になります。何故なら宋王朝から名前の中に必ず世代の名(字輩)を入れなければならないからです。
例えば、孔子の子孫も宋王朝から世代名ができています、有名な卓球選手「孔令輝」の「令」の文字が世代名です、同じ世代の兄弟姉妹、従兄弟、従姉妹、も必ずこの「令」の文字が付けられています。この習慣のため二文字名が主流となりました。
中華民国時代に入ると、ルネサンスの影響を受け、名前も昔みたいに一文字が流行となりました。例えば作家の「魯迅」など多くの文化人が一文字名前を推奨した結果再び流行となりました。
現代になると、戦後すぐは二文字名前が主流となり、70、80年代が一文字名前が流行り、2000年後またまた二文字名前が主流となりました。