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占うの結果はどうでもいい、重要なのは解説
春秋時代より前に『易経』という占いに関する古書があります、これはおそらく中国最も古い占いの本であり、後世の孔子など諸子百家達がこの本に関する評判は非常に一致しています、ずばり当てにならない。
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諸子百家の観点から見れば、行動する前に占うことが占うことを信じるではなく、占ったことによって行動を上品に見せるためです。統治者から見れば占うことが政治行事でしかない、百姓だけ神秘的なものと感じます。
晋武帝が皇帝になった時、自分の王朝が何代続けるかを占いました、結果が1代でした。皇帝が激怒し、文武臣下達ももちろん怯えて誰も話せなかった。こんな危険な状態に、ある大臣が出てきてこう言いました:「『易経』により天が一をもらえれば晴れ、地が一をもらえれば安泰、陛下が一をもらえれば天下の中心になれます」
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これを聞いた皇帝がすぐ怒らなくなり笑みを見せました。
この人の発言こそ占いの真髄、結果はどうでもいい、どう解説するかが最も重要です。どう解説して人を喜ばせることができれば大凶が出ても大した問題になりません。