一九四〇年 台東⑵ - 知本の警察温泉
東街は屏東市の十分の一の規模にして全てにおいて小振りにして閑かであるが、監獄だけは立派で全台の凶悪犯を集めていると云うから、けだしオーストラリヤのごとし。書店に寄ると時局本が入荷されたという張り紙がデカデカと張られ不愉快になったが、自分は吉川英治の小説を買いたいのに「日本人必読」等と称しヒトラー氏の本を売りつけようとする台湾人店員にホトホト閉口した。
ところで日本人はかような僻地でも総督府警察の支所を設け「我らこそ一等国民なるゾ」と威張り腐っているのであるが、多くは内地の部落で食いつめた揚句に台湾くんだりまでやってきた輩であり、当時の恨辛を思い出しては台湾人や高砂人に当たり散らしているに過ぎないエテコーである。奴等はそれを知っているから内心日本人を小馬鹿にしていて、「日の丸や鉤十字を礼讃せねば汝一等国民にあらず」と云わんばかりに色んなものを売りつけにかかるのだから、支配被支配の実態は得てしてそういうものである。そもそも台東は人が足りず、壮健な高砂人は貴重な労働力であるから、高砂人は兵隊に取られることもなく、汽車にも無賃で乗れると云う。
盛り場にはエロバーの類あり。夜は小料理屋で切身魚のフライをあてに地酒を飲む。酌をする女は関西弁の日本人で、身の上話を聞いていると、女はもともと兵庫県某村に住んでいたが、夫婦で一旗揚げるべく台東まで来たものの夫はマラリアで死んで仕舞い、自分は台湾に身寄りもなく乞食のような生活をしているのだと云い、自分はこれから内地に帰るのだと云うといたく羨ましがられた。女とEROするが、しかし自分はうつうつとして愉しまず。せずりのほうがましだったと後悔する。
朝、乗合バスで知本温泉に向う。知本湯元は原来蕃人の温泉であるが、改隷(日本統治)後日本人が開発し、今や台東随一の美景などと称されるようになった。台東街から遠くもなく、紀州の奥座敷竜神湯峰のごとき風情あるも、妓女おらぬ故おめこはできぬ。しかも温泉街の中心には真新しく露悪な警察温泉(※警察療養所。戦後接収され警光山荘となった)まで建っているのだから、著じるしく興を削ぐ。知本の神湯に浸かるも自分の気色は悪いままで旅の憂うつも全く取れず。茶菓と称する紅花の漬物を食べたが得体の知れぬ味付であった。なお知本は温泉だけでは立ち行かずキナで儲けているのだと云っていた。結局一泊もせず台東に戻る。
もはや行きたい場所もなくなってしまったので駅で汽車の切符はないかと聞いたら今晩の花蓮港行き夜行があると云われた。夜行に乗るのも面白いと思い切符を買う。晩飯は盛場で小料理と地酒一献。女なし。今日の酒も面白くなし。
夜十一時発の汽車はノロノロと人少なく揺れも酷く、そして外の景色も闇で一切見えないものであるから、それならいっそ表台湾の汽車に乗ったほうが楽とも思ったが、それにしても内地には帰りたくなし。玉里辺りで目が醒め(結局温泉は寄らず)、みずほ、ことぶき、早朝花蓮港駅に達する。