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1936年 屏東の記録

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昭和11年(1936年)に屏東を旅した親族の記録をまとめました。ただ、内容は相当えげつないので、読み物と思い読んでいただければと思います。
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2022年12月の記事一覧

一九三六年 屏東⑶ ー 客家部落の朝と売春宿の夜

客家部落の朝 二人して宋君宅に帰り、暫時睡眠する。朝五時にもかかわらず著しく暑く寝苦しい。周囲を散歩すると支那風の赤瓦の建物ばかりで、辺りは黒猫や黒犬がウロウロしていた。半時間歩いただけなのに玉のような汗がドッと出た。宋君の住む地区は客家ばかりで日本人蕃人は居ないと云う。客家とは清代に台湾に移り住んだ漢人即ちちゃんころを指し、日本語を解するのは其の内半数程度である。宋君も客家の一人である。田圃には台湾バナナがたわわに成っている。台湾バナナは汽車に乗り高雄港に運ばれ緑色の硬い

一九三六年 屏東⑵ ー ホモセックスで肛門を大怪我

悪賢いパイワン族 屏東市若松町の中に見本蕃屋なるものがあってここで蕃人と会う事が出来ると云うので見てみる事にした。南湾の蕃人には貴族と称する頭目と平民の二種があり、大武山岳に大小多数の蕃社がある。見本蕃屋に居る蕃人は自分を平民出身であると云い、農業は幼稚であるが工芸を好むので民藝数寄(すき)であれば着目すると好いと云い、傍らの蕃女が身に付ける瑠璃玉を見せびらかしてきた。蕃人は朗々たる日本語で身上話を語る。自分は今上天皇陛下がまだ東宮におわしました頃台糖を行啓せされた時に御下

一九三六年 屏東⑴ - 謎の美青年に会うべく屏東市を訪ねた親族の記録

南台湾のモダン小都市 南湾の屏東市は糖業と飛行連隊で名を馳せる人口四万の小都市である。高雄より東に僅か二十キロメートルに位置するが、途中下淡水渓という大河がある為自動車で行く事は出来ない。その為総督府は鳳山屏東の間に東洋第一の鉄橋を架け、鉄道を往来させている。屏東は元々阿猴と称し、土匪が跋扈し一日として安寧の生活を送り得ぬ蕃地であったが、総督府の威令に蕃人百族は皆帰順し、また台湾製糖株式会社が台南より本社を移し、また理蕃の為に飛行連隊が四十万坪の広大な飛行場を設けた事から、