ロシア語一日一善(260)

レフ・トルストイ編著 八島雅彦訳注 東洋書店から

Война - это занавес, за которым люди и народы предаются таким грехам, которых мир не потерпел бы иначе.
Спрингфильд


試訳
戦争とは、大衆や民族集団が平時では耐えられない罪悪にその身を委ねている隠れ蓑のことである。

заванес は「幕」だが、Война - это занавес 「戦争とは幕である」としたのでは意味が分からない。比喩的な意味で用いられているとして続きを読んでみる。за которым (за занавес) 幕の向こう側に、つまり幕で隠された場所を示す。люди и народы предаются таким грехам < предаться чему は、〜の言いなりになる、身をまかす、なので、「人々や民族がその罪に身を委ねる」люди と народы がちょっと訳しにくい。どちらも「人々」と訳せる場合があるが、люди が単に多くの人々、という意味合いに対し、народа は「民族」という意味がある。同じところに住む、同じ文化的背景を共有している集団。люди が「大衆」で、народы が「民衆」という感じかと思ったが、大辞林によると「「大衆」は社会の大多数を占める、特定の階級・立場に属さない一般的な勤労階級の人々の意を表す。それに対して「民衆」は国家や社会を構成する、被支配階級としての普通の人々の意を表す」とあり、特定の集団をあまり連想させない点では、люди = 大衆、は間違っていないが、「民衆」の向こう側にあるものが「支配階級」なのでこの解釈はできないか。которых мир не потерпел бы иначе :«которых» は «грехов» を指すので、「世間がそうでなければ許さない罪」となる。иначе 「そうでなければ」は「戦争でなければ」ということだが、つまり「戦争という名目で犯せていなければ」という意味かと思われる。確かに平時は殺戮でも戦時では戦果となる場合はある。ここに来て、「戦争が幕である」という冒頭の表現が、「戦争は罪を隠蔽するために用いられる覆いである」ということも分かってくる。

試訳
戦争とは、平時では世間が許さない罪悪に大衆や民族集団がその身を委ねるのを隠す幕である。
スプリングフィールド

занавес を「隠れ蓑」と訳す考えも浮かんだがやり過ぎか。比喩表現と言ってもзанавес は二次元だが「隠れ蓑」は三次元のようなイメージになってしまうしなあ。

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