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2024年の語学まとめ ー外国語に費やした2000時間

今年は1ヶ月ごとに自分の多言語学習状況を書き記すことで、学習の計画を立てるための指針にしてきた。新しい年を迎えるにあたって、2024年に学習する際に意識したことなどを言語化したいと思う。具体的な勉強方法というよりは学習態度などについてつらつらと書いていくつもりだ。

意識したことは次の4つ。
・とにかく勉強時間にこだわる
・youtubeの教材化
・SNSは遮断
・自分の興味に合わせる

順に書いていく。

1、とにかく勉強時間にこだわる
2023年の12月に当時のリゾバ先で左腕を骨折して療養している間、ずっと今までやりたかった外国語の勉強を気の向くままに進めていった。半年くらい経って怪我は完治したが、せっかく軌道に乗っていた語学を労働のために打ち止めにするのが惜しくなり、夏頃からは単発のバイトなどをしてミニマムにしか働かなかった。語学の時間をいかに確保するかが語学において何よりも大事であることが分かったので、自分の固定収入を犠牲にして語学に打ち込んだ形だ。語学と読書さえやっていれば自分は満たされることもよく分かったので、語学に触れている時間が長いほど自分の幸福度は高い。(逆に言えば労働時間が長いほど幸福度は低下する)自分が幸せになる方法が分かったところで、その際の決意表明についてもnoteに書いた。

語学は触れる時間を増やせば増やすほど上達する。ある意味で当たり前のことかもしれないが、ちょっとでも学習が停滞すると「最小時間で最大の成果を出す」方法に飛びつきやすい。安易な方法になびかない意味でも、時間をかけることに意味があると肝に銘じて日々の学習に取り組んだ。自分がどのくらい勉強しているかを客観的に知るため、勉強時間は逐一計測した。2024年の各言語の勉強時間は以下の通り。

フランス語:698時間40分
ドイツ語:763時間36分
ロシア語:307時間1分
ポルトガル語:220時間36分
英語:172時間1分

怪我を機に勉強を始めたのがフランス語とドイツ語で、ロシア語は7年ぶり、ポルトガル語は3年ぶりくらいに勉強を再開した。英語はほぼ原書を読むだけの活動になっている。フランス語とドイツ語は初級の段階だったので、もっとも重点的に取り組んだ。個人的に2つの外国語を同時に勉強することが可能なのかに興味があったので、2024年はフランス語とドイツ語の年だったと言える。正確には両言語とも全く知らないレベルではなかったのだが、集中的に勉強したのは今回が初めてになる。

2、youtubeを教材化
勉強の教材は文法書や問題集、アプリや原書など、あらゆるものを用いたが、個人的に革命的な教材になったのがyoutubeだ。自分の学習言語で検索をすれば、その言語のコンテンツが無限に出てくる。その言語の学習者向けに文法や成句を解説しているものや現地の公共放送やテレビ番組まで幅広い内容の動画がヒットする。自分のレベルに合ったものを探し出すのはなかなか難しいが、日常的に学習言語で気になったワードを検索ボックスに打ち込むようにしていれば、アルゴリズムが似たような動画を見つけてくれる。逆に日本語の動画を視聴してしまうと日本語の動画がレコメンド欄に表示されてしまうので、日本語の動画は見ないように心がけた。日本語のタイトルの動画がレコメンド欄に出てきたら「このチャンネルをおすすめに表示しない」をタップして自分のyoutubeから日本語の動画を駆除していった。地味な処置だがこれを何ヶ月も続けていくと自分のyoutubeには外国語の動画しか表れなくなるので、youtubeをなんとなくいじっているだけで外国語に触れることになる。もしくは有料だがVPNを利用するのも手だ。学習言語が話されている地域に接続すればyoutubeの広告すらも学習言語になる。youtubeに限らず、自分が消費するネットでの情報を外国語だけに制限したのはなかなかおもしろい試みだった。たとえば日本国内のニュースに疎くなるが、代わりに海外のニュースには敏感になる。流石に2024年に日本の首相が交代したのは知っているが、海外では石破首相の誕生はほとんど報じられていない。11月のアメリカ大統領選挙でトランプが次期大統領に決まったが、その同じ時期にドイツの連立政権が崩壊していたりとか、その地域にアンテナを張っていなければ得られなかった出来事も多い。その国の歴史にとっては重要なことでも世界のニュースでは取り上げられるとは限らない。パリオリンピックなんかはどの国のメディアも報じるが、たとえば2024年はポルトガルにとっては民主化へのきっかけとなった「カーネーション革命」から50年の節目の年だったり、あとヨーロッパにとってはノルマンディー上陸作戦から80年の年でもあったり、こういったことは日本で日本語の情報だけを摂取していたら気にも留めなかっただろうと思う。12月は韓国政治の混乱ばかりが日本で報じられる一方、ヨーロッパではシリアのアサド政権崩壊のニュースが連日伝えられる。ニュースはその国の世界の見方を反映しているので、何がその地域の人々の琴線に触れているかを窺い知る一助になる。また、外国語の学習の一環として情報の消費の仕方を学習言語に限った結果、個人にどのような影響を及ぼすのかはこの一年絶えず気になっていた。学習言語の記事や動画は当然学習中の言語であるから、内容の理解には相当労力がかかる。日本語の動画のようにサムネイルで釣られて「クリックしてしまう」みたいな選び方ではなく、タイトルをみてどうにか理解できそうだと踏んだ上でクリックし、わからない単語をなるべく辞書を引いて内容理解に努めるので、動画に対する姿勢がまるきり違う。学習言語だと「暇つぶしで動画を見る」というはほぼない。もしかしたらターゲット言語でみている動画も低俗で質の低い、くだらない内容の動画なのかもしれないが、少なくとも外国語の勉強になっているという点で動画に対するモチベーションは日本語のときと異なる。不安や怒りを煽動されたり、陰謀論や炎上目的の罵り合いが展開されて嫌な気分になることは学習言語の動画ではあまりない。(おそらくはそういう内容のものにも遭遇しているのだろうが、幸か不幸かそんな内容を理解できるほど語学力はまだない。英語だとたまにそういう不快な動画にぶつかる。)

3、SNSは遮断
語学において時間を確保することが何よりも重要であると先に述べたが、これは自分の時間をいかに奪われないように生活を構築できるかにかかっている。最も時間を食われやすいのはスマホだろう。何も考えずにスマホをいじっていれば時間はあっというまに過ぎ去ってしまう。スマホから独立するのはなかなか難しいが、ひとまずは原因を取り除くのが手っ取り早い。先に述べた「日本語のコンテンツに極力触れないようにする」の延長線上にあたるが、自分の語学にとって邪魔になるSNSは全て削除した。XやlineのようなSNSは削除すると困るかなと思ったが、これらのSNSは明らかにパフォーマンスが悪い。Xを削除しなければ手にできたかもしれない有益な情報は確かにあっただろうが、無意味なツイートや嫌な気持ちさせるツイートを読んで無駄になった時間や損なわれた気分の総量を秤にかければやらない方が賢明だ。lineをやっていれば維持や発展した人間関係はたくさんあっただろうが、今の時代、本当に用のある人には労力をかければコンタクトできるし、そもそも自分が人に会いたいという気持ちに全くならない。私がフリーターという立場上、学生時代の友達はみんな仕事に忙しいか、結婚して家庭に入ってしまって話題は合わない。私は定職に就いていないので仕事関係で生じるかもしれない連絡にもlineは必須ではない。親戚との連絡とかは家族を介すればいい。結局、電話と電子メールですべて事足りる。(考えてみれば2024年はほぼ友達に会わなかった。一度だけ、散歩中に以前のバイト先の同僚だった人とばったり再会してゆっくり話をしたいなと思ったが、先方は家事と育児で多忙を極めているようだったので、遠慮して近況を報告だけで別れた。それでも自分のやりたい語学のことで頭がいっぱいな状態では孤独感をまるで感じないから不思議なものだ)この一年で使っていたSNSは勉強時間を計測に使ったstudyplusと読んだ本の記録ができる読書メーター、それから今これを書いているnoteの三つだ。これらのSNSも基本的に自分が何かを記録するために利用し、他の人の投稿は極力見ていない。たとえばNoteだとアプリを長押しすることで自分のマイページに一気に飛べるので毎回この方法でアクセスしている。普通にタップしてしまうとホーム画面に行って、「あなたに」のようなクソッタレなレコメンド記事が表示されてしまい、「何か記事を書くためにアクセスしたのに気づいたら他人の記事を延々読んでいた」のような無駄な時間を過ごす羽目になる。本当に情報を知りたいとき以外は他人の投稿は見ない、特に流れてきた投稿ほど時間を奪われるものもない。

4、自分の興味に合わせる
とにかく時間をかけることを重点においていたが、これにはもちろん問題がある。原書を読んだ30分、Duolingoをやった30分、ポッドキャストを聞いた30分、これらをすべて同じ「30分勉強した」ことにしてしまうので、時間だけで語学の進捗具合を測るのには実は限界がある。では何を質の指標にすればいいのか?学習言語で60分のドラマを見るのは、30分のドラマを見るより二倍の効果があるとみなしていいのか?原書を10ページ読むのと5ページ読むのでは前者の方が二倍勉強したことにしていいのか?結局、時間という指標を量に転化してもあまり意味はない。学習の質を測る目安となるのは「いかに自分がその教材にコミットできたか」だ。たとえば自分の学習言語を話している「推し」がいたら一言一句その言葉の意味を知りたいと思い、学習する際にもより深く言葉の意味を汲み取るだろう。「なんとなく意味がわかる単語」も詳しく意味やニュアンスを調べるようになるかもしれない。つまり、自然と内容を深く知ろうという態度が学習の質を決定づける。質のいい教材とは「自分にとって興味が湧いてくるか」なので客観的な指標を求めることは困難だし、あまり意味がない。
たとえば、私はこの年末年始にトルストイの『アンナ・カレーニナ』を日本語で読んでいるのだが、これだけの世界文学の大傑作ならば、ネット上にいくらでも「アンナ・カレーニナ」についての情報がある。それを学習の教材に使わない手はない。ひとまずターゲット言語で「アンナ・カレーニナ」と検索してみて面白そうな動画や記事が見つかったらそれを教材として読んだり見たりする。そして、もちろん日本語で読んだあとは原書のロシア語で『アンナ・カレーニナ』を読むのもいい。外国語で本を読むことは語学の王道だとしばしば言われるが、これにはただし書きが必要だ。すなわち「外国語で本を読むことは語学の王道ではあるが、それは学習者が読書に興味がある場合に限る」
別に本を読むことが外国語の勉強において大事だといっているのではなく、私個人の学習態度が読書をしているときに最も研ぎ澄まされるにすぎない。あくまで個人の嗜好の問題なので、他人にとっても同じように効果が期待できるはずもなく、自分の興味・関心を媒介にしてそれを外国語で消費することが学習の質に大きな影響を及ぼすということだ。

5、まとめ
2024年は表向き、フランス語とドイツ語を同時に始めてそれを検証していた一年だった。正直1年前には両言語がここまで上達するとは思わなかった。まあ、検定試験とかを受けて合格したわけではないので、具体的に「私の実力は〇〇です」と言えるような立場ではないが、2024年12月の時点ではカフカやジットを邦訳と並べながら読んでいるので、それなりに進歩している実感はある。700時間前後勉強しただけにしてはまあまあかなという感じだ。事情が許せば、あと2年か3年はフランス語とドイツ語にコミットして、文学作品をストレスなく味わって読めるようになりたいなあと思うが、果たしてそこまでいけるか。
思いついた勉強法はあらかた試して、自分の中で勉強方法は定まったが、その一方で学習の方法は絶えずアレンジしていかなければ飽きてしまうし、私にとっては語学学習自体に喜びを見出せる体質なので、2025年もいろいろな勉強方法を試して、その結果をnoteにまとめていこうかなと思っている。2024年は勉強時間を記録するのを執拗に自分に課していたが、こだわりすぎたきらいはあるので、もう少し柔軟にやっていきたい。2025年の末にどのくらい語学が上達しているのか、この一年の上達を感じると今から楽しみではあるが、一番気をつけるべきはこれに尽きる。「自分のための時間を死守せよ」

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