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「あなたのたくさん待ったピザ」 所有代名詞の謎

ロシアに留学していたとき、寮の近くにピザ屋ができた。あるとき、留学生仲間とその店に行ったのだが、私の注文したピザだけなかなか来なかった。店員さんが何度かテーブルに来て、機械の関係だが材料の関係だかで私のハワイアンピザだけ時間がかかっているという。同席していた留学生の友だちは少しすまなそうな顔をしながら、冷めないうちに自分のピザを頬張っていた。

30分くらい経ってようやく自分のピザが運ばれてきた。その時に言われたフレーズがこれ

Ваша долгожданная гавайская!

逐語訳すると、 ваша(あなたの) долгожданная(長く待った) гавайская(ハワイの)となる。女性形なのは、пицца (ピザ)が省略されているためで、日本でなら「大変長らくお待たせしました。こちらハワイアンになります」となるだろう。долгожданная の語感もおもしろいがさておくとして、自分が注文したものを渡されるときは所有代名詞が使われる。確かに店員さんから見たら「あなたの」になるのだが、日本人としてはちょっと表現に違和感がある。自分が注文したのだから、その商品は自分のものになるという理屈は分からなくもないが、まもなく消化されてしまう食べ物を「所有している」という感覚がどうにも受け入れ難い。

別の文脈で所有代名詞を考えてみる。以下はロシアのコメディドラマ、Универ Новая Общага からの切り抜き。クージャ(男性)は大学の守衛のバイト初日で、ルームメイトのクリスチーナ(女性)にキャンパスで会う。クージャは職務としてクリスチーナに学生証の提示を要求するが、クリスチーナはナンセンスだとあきれつつも学生証を取り出そうとする。

https://youtube.com/clip/UgkxXb3i5CLSYAMFvhgCRYhbng8Hvb_ABGKG?feature=shared


Студенческий предъявите.
学生証を提示しなさい

Какой студенческий?
学生証?

Ваш студенческий, который подтверждает, что вы являетесь студентом данного учебного заведения и можете беспрепятственно передвигаться по его территории.
そうだ。その学生証がなければ、この教育機関の学生であることを示せず、キャンパスを自由に出入りできない。

Кузь, ты чего? Мы с тобой в одном блоке живем.
なんでよ?私たち同居人でしょ。

А чего это вы занервничали? Вам есть что скрывать?
なぜおどおどしている?何か隠し事でも?

Слышь ты, Эдуард, тебе по ходу дела кепку маленькую выдали, голову жмут.
あのさ、その帽子、小さすぎるんじゃない?締められて頭やられちゃうでしょ?

Еще раз повторяю, ваш студенческий.
もう一度言う。学生証を見せなさい。

Сейчас, сейчас я тебе покажу твой студенческий.
はいはい。今あんたの学生証を見せますよ。

Мне не нужен мой, вы свой покажите.
私のは不要だ。自分のを見せなさい。

Блин, я по ходу дела дома забыла 
あら、どうやら家に置いてきちゃったみたいだわ


大学の守衛に過ぎないのに、まるで大統領警護のSPのような真剣さで職務を遂行するクージャがおもしろおかしい場面なのだが、ここまで戯作的でなくてもこの種の人間がリアルにいそうだと思わせるのがロシアという国でもある。警備員にかぎらず、人は職権を手にすると、その社会的責任感もあいまって、権力を不必要にでも行使したいという欲求が生じる。これはドストエフスキーがロシア人の国民性としても書いていることだ。

「それはつまり vous sevez, chez nous… en un mot(いいですか、全体ロシヤ人の間には、まあ一口に言えば)かりにごくごくつまらないやくざな男を、どこかの鉄道のぼろ切符売場に立たせてご覧なさい。このやくざもの先生、たちまちジュピターか何かを気取っちゃって、人を見おろす権利が生じたように考えだす。そして人が切符を買いに行くと、自分の権利が示したくてたまらない。『今に見ろ、おれは貴様に権力を見せてやるから………』こういう気持ちがこの手合いになるとほとんど行政的感興にまで達するのです。

ドストエフスキー『悪霊』米川正夫訳


話を所有代名詞に戻すと、クリスチーナは自分の学生証を探しながら、Сейчас, сейчас я тебе покажу твой студенческий. (はいはい。今あんたの学生証を見せますよ)と言ってる。ここで твой をそのまま解釈すると「クージャの学生証」となるのだが、明らかに文脈と整合しない。実は твой には「君の親しい、君が関心を抱いている」という意味もある。つまり、クリスチーナは、Сейчас, сейчас я тебе покажу твой студенческий というセリフを「はいはい、今あんたが御執心の学生証を見せますよ」という意味で言っており、クージャは(彼は単純なので)「はいはい、今あんたの(クージャの所有する)学生証を見せますよ」と解釈したというすれ違いが発生している。この融通がまったく利かないところもクージャのキャラクターによく合っていて見る方は笑えるのだが、この言葉遊びはロシア語学習者にとっては興味深い。極端な例なのかもしれないが、所有代名詞はそれにかかる名詞の所有者だけではなく、その人が志向するものを示すと言えるのではないか。例えば「私たちの」を意味する наш は辞書を引くと「(話し手・書き手から聞き手・読み手に向かって)いま問題[話題]にしている、この」と出ており、герой нашего романа は「この小説の主人公」となっている。これは「話し手と聞き手が志向している」という意味で「いま問題にしている」という意味になるのではないか。ваш (あなたがたの)を引いても、研究社の露和辞典では、「 あなたの好きな[ごぞんじの]」のという意味で、Привози́те же за́втра ва́шего Бе́льтова. あした, そのベリトフさんを連れていらっしゃいよ. という例文がある。つまり「あなたがかかわっている、コミットしている」という意味に取れる。こうして分析してみると、自分の注文した料理が運ばれてきたときに使われる ваш は「あなたの所有している」ではないく「あなたが注文した」という意味で解するべきだったのかもしれない。


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