記憶と感情の話
私はよく空いた時間などに「ABEMA報道リアリティーショー」というABEMA TVで放送している番組の切り抜き動画をYoutubeで観たりしている。
このシリーズは地上波では絶対に取り扱わないようなトピックなどを多く取り扱っており、毎回印象に残るような内容だ。
以前、見た動画も結構衝撃的な内容だったため、今回はそのことについて述べてみたい。
この動画内で出演している男性は、
脳が損傷する前の記憶を忘れてしまう「逆行性健忘」
と新しい記憶が覚えられない「前向性健忘」
を患っており、眠るたびに記憶が全てリセットされてしまうという症状を患っている。この男性は毎朝、自分が誰で、どんなことをしていたかを、自身のメモによって認識するという生活を送っているのだ。
この動画内でとても興味深いのが、このような状況下に置かれていながらも非常に冷静な男性の様子である。
彼は動画内で「怒り」や「悲しみ」といった感情を感じることがないという旨の発言を行っており、書き記してあるメモを見ても、半ば他人事のように捉えているという。
この発言をよくよく考えてみると「私たちの感情」が「記憶」という「蓄積」に結びついているという見方ができるのではないだろうか。
例えば、難関大学合格のために一日10時間以上勉強していた人がいたとしよう。
夏が過ぎ、冬が過ぎ、最終的に本試験を受け、いざ合否が判定する時がやってくる。
それが「合格」ならばその人は、憧れの大学に合格できたという強い達成感と喜びを感じ、
「不合格」ならば、合格できなかった悔しさを抱えしばらくは悲しみに包まれることであろう。
しかし、以上の感情は全て「一日10時間勉強し続けた」という本人の実績、つまり「記憶」がなければ発生しないと考えることができる。
勉強を行う中での志望校とのギャップを感じて悔しかった瞬間。励ましの言葉を掛けてくれた人の言葉、友人とつかの間の息抜きをした時間など、
そういった数多くの出来事を保存する「記憶」がなければ、達成感や悲しさという強い「感情」は生まれないのである。
つまるところ「記憶を忘れる」ということは、その記憶に付随する「感情を失う」ということにもなるのではないだろうか。
そう考えるとますます、「自分」という存在や抱える「感情」とは何かという問題が浮き彫りになってくるのかもしれない。
私が「私」と呼べるもの。
それは一見、確固たる根拠があるように思えるし、それを戸籍や住民票など制度的な身分証明により明示できるように思えるが
本人の心理的な面で自分を証明するという事は非常に難しい。
この動画を視聴して改めて感じさせられた。
この男性の症状が回復する時がやってくることを心より祈っています。