もしもで人はレモンをかける
はい、黒主零です。
今回は少し真面目なお話として国を守るとはどう言うことかとか左翼右翼がどうとかと言った御大層なお話をするよ。
対立を煽るつもりはないけど興味ない人はブラウザバックだよ。
1.右翼的思考回路とは
まず大前提として本来人間特に日本人は保守的(右翼)的な思考回路をしているよ。
どっかの小説にもあったけど人間の脳が一番得意なことは「危険や違和感を見つけたら行動を躊躇させること」だよ。
いつもと違うとなったら人は今やってる行動を止めて何か異常がないかと確認作業を行う生き物だよ。
サザエさんみたいに財布を忘れて買い物に出掛けたら大変だからね。
保守と言うのはなるべくいつもの自分の姿、調子に合わせようとする考え方だと思ってるよ。
2.左翼的思考回路とは
続いて左翼的。右翼が躊躇すること、なるべく状況の保存を優先する事だとするなら変化を望む傾向にあるよ。
例え平穏であってもずっと今の日々が続くことに危機感や恐怖を覚えて行動するタイプだね。
雨の日だからって外に出て買い物をしないなんて選択肢は取らない、まだ見ぬものを見たらそれが何なのか確かめてみられずにはいられないタイプだよ。
3.歴史と左右
そもそも右翼だ左翼だ言われたのは初めてよその国と遭遇してその文化に触れた昔のどこかの国でこれまで通りの政治を続けるかその国の文化を真似してみようかと議論が起きたことから始まったよ。(諸説あります)
国家としてはもちろん、個人の人間としても初めての変化に遭遇したらそれに対して自分を合わせるか今まで通りにするか考えるのが当たり前だよ。
そして他人の話を聞かずにひたすらまでに保守的思考を続けて他の文化の一切を受け入れなかった軍団としてはどこかの少数民族などがあげられるよ。
逆に新たな要素を受け入れて革命的に変化を続けてきたと言う例は英語や外国語等を既に受け入れている日本国含めて多々あるよ。
少数と多々と言っているように本来変化を受け入れることで現在まで発展を続けているケースの方が比べるまでもなく多いよ。
それでも1000年以上も日本語を使い続けている日本のように自分の文化を保守し続けているケースもあるわけで完全に左右どちらかに振り切ることはあまり多くないと思うよ。
4.戦争と左右
さて皆さん、友達や親と喧嘩をしたことはあるかな?あるのが普通。喧嘩すると気分が悪くなるよね。喧嘩しないようにするとはどう言うことか。基本的に相手の言うことは全部従えばそうそう喧嘩にはならないよね。もしくは誰とも接さない日を送るか。
個人同士がうまくまとまって組織、国家になったとしよう。もちろん人間全員友達になれば喧嘩は起きないかもしれないけどそれは人間皆同じ考えにならないと無理な話だよね。
極端な話、唐揚げに何かけるかでも喧嘩になるかもしれない。最初の一回なら間違えただけで許されるかもしれないけど柑橘類が駄目って人が、でも喧嘩したくないからレモンは駄目って言わずに
理由を話さないまま「いいよ」と言ってしまえば理由が分からないまま次に繋がってしまう。
だからレモン嫌いとかそもそも体質的に駄目って人に何回もレモンかけてたら我慢の限界になって怒られるし喧嘩になる。
ごめんって言って謝れば済むかもしれないけどその人とはもしかしたら二度と話をしなくなるかもしれない。
確かにそうなれば二度と喧嘩はしないかもしれないし広い地球長い人生一期一会なのだから問題はないかもしれない。
でも家族とか学校のクラスメイトだったらそんなことは出来ないよね。国同士でもまったくお互いに無視し合うことなんて出来ないし、かと言って互いに違う文化だから押し付け合うことも出来ない。
そうなったらどうなるか。喧嘩を覚悟して付き合っていくしかないよね。無視し合うことも押し付け合うことも出来ないし、人それぞれ状況も趣味嗜好も異なるのだから。
そして個人同士なら喧嘩で済む話が国同士なら戦争となる。
流石にレモンを押し付けてきたから戦争だなんて言ったら国内外問わず止めてくる人もいるわけで、何か理由付けを行うよね。戦争とか喧嘩はなるべく避けるべき事態だから下らない理由で起こそうとしても止められる。無理に実行しようとすればそれを理由に周囲の他国とも戦わなければならないかもしれない。
クラスで暴れん坊の生徒A君がいて、変な理由で他の誰かB君に悪口言ったり暴力振るっていればそれはいじめだよ。止めようとしても怖いから無理って場合には生徒達で数を集めて止めようとする。もしくは先生を呼ぶ。これと同じこと。
でもその暴れん坊のA君がもし被害者側だと考えられるようなことを言ったら?
例えば貸した消ゴムを返してくれなかったとかそれこそ柑橘類食べちゃ駄目なのに唐揚げにレモンをかけられたとか。
実際にされたかどうかは別としてそう言う大義名分があれば人は誰かを傷つけられるんだ。
でも暴力を振るわれるのは嫌だからとB君も何か理由を付けて避けようとする。
消ゴムなんて貸してないとか、レモンなんて掛けてないとか。でもそんな証拠A君もB君も用意できるとは限らない。
そうなったらどっちが正しいのか分からなくなるしそこまで来たらA君もB君も引き下がれない。だから何かの取引をするか喧嘩になる。
暴力なんて嫌だと言っていたB君も手を出さないと行けなくなるかもしれないね。
さて、この場合どちらが右で左かな?
正解はどちらでも。喧嘩両成敗とかではなく、左に手を出されたら右も手を出さずにいられなくなるし右に手を出されたら左は手を引くかもしれない。最初の考え方がそのまま行動と結果に結び付くかなんて分からないし、他人から見ればもっとよく分からない。
だから自分の考え方と他人に何か行動を迫られた時の行動と結果は必ずしも一致しないわけだね。
だから右が正しいのか左が間違っているのかその逆かなんて考えても意味がない事なんだ。右も左も自分に間違いがあってそれを認められなければその時点で左右に違いなんてなく、関わりを持たぬようにしてきた他人からはただただ「嫌なことをする人」としか評価されない。目的が手段を正当化するわけではないって吶喊します?な少尉も言ってたしね。
5.21世紀の喧嘩のやり方
1945年第二次世界大戦が終わってそれ以降大きな戦争はないし少なくとも日本は戦争に参加していないね。
どうして?って聞かれたら戦争となることを避けるために他国の言うことになるべく従っているからだよ。
それを悪いかどうかで判断するのは難しいからここでは省くけど、じゃあどうして大きな戦争がないか。
皆第二次大戦を経験して戦争して何か目的を果たせたとしても自分が傷つくのは嫌だと判断したからだよ。
だから大戦以降、地雷と言う「相手しか傷つかないもの」は即禁止された。そう言うものがあったら自分は傷つかずに相手だけを攻撃できる。つまり戦争で嫌な思いをしないで済むから戦争に積極的になる。取り分け陸続きの国なら地雷は戦時中でも戦後でも厄介極まりないからね。
でも戦争は起きてる。21世紀の世の中でも平成でもそのうち令和でも。
皆は喧嘩と言えばどういう状況を想像する?
強い言葉で言い合ってる時?互いに殴り合った時?どちらか片方だけでもそれを始めた時?
さっきのA君なら喧嘩しようと暴力を振るおうと思ったのはどの段階か。レモンを掛けられた時か消ゴムをなくされた時だね。
つまり皆が想像する喧嘩や戦争とはそれを彷彿とさせるより遥か以前から既に始まっているんだよ。
昭和までの戦争は大義名分を用意してそれをきっかけに戦争するものだった。でも現代は違う。大義名分を可能な限り大きく多く強く目に見える形で用意する。
仮にA君がある日たんこぶ作って泣きながらB君に暴力を振るわれたと言ったらどうなるか。
たぶん多くの先生や生徒はB君を注意するだろう。少なくともA君は可哀想と慰められるだけ。そうなれば戦争や喧嘩にはそもそもならない。皆B君の言うことを聞かなくなるしA君には優しくなる。
でももしA君が自分でたんこぶを作ったとしたら?もしもそれがばれた時には二度とA君は誰にも信じてもらえなくなるだろう。そんなことはやる前からでもA君には想像できる。それを避けつつそれでもB君が気に入らないとしたらどうするか。嘘を付き続けるんだ。B君が暴力を振るったと言う状況は誰も見ていない。証拠もない。それでもA君が泣きながら嘘を続けていれば周りの人達には判断が出来ない。それでも少なくとも何も証拠がない以上は少なくともA君を責めることは出来ない。
B君にとっては何もしてないのにこんな状況を作られたこと自体が良くないことだし、A君にとってはとてもいい状況になってる。そしてこの状況、A君から変えるなんてことはあり得ないわけで。
B君はこの先ずっとひたすらこの「B君はたんこぶが出来るまでA君をいじめるような人かも知れない」と言う疑惑を受け続けなければならない。
それでもいいと言う人はいるかもしれないけどきっと多くは耐えられないよね。学校のように長くて6年の関係ならまだしも学生を卒業したら期限なんてないのだから。
A君とB君の関係を知っている人がいる限りこの疑惑は続く。じゃあどうするか?強い手段を使ってA君に嘘だと白状させるしかない。場合によっては喧嘩もするし本当に暴力を振るう。
国同士で言うなら賠償を求めるかそれこそ戦争を行うかと言う話になる。
その時点で既にA君としては勝ったも同然になる。嘘を隠し通せばB君は本当に暴力を振るう危険な人物になってくれるのだから。
つまるところ、第二次大戦以降に大きな戦争がないのはこのA君の嘘によってB君の名誉が傷つけられ続けている状態が続いているからだ。
この状況、戦争していないと果たして言えるだろうか?
6.戦争のための不全ウィルス
ここまで言ったけど他人に不名誉を与えるだけで、そんな手段を使う人が満足するだろうか。
B君が絶対に暴力を振るわなければそして周囲にたくさんの友達がいたら、気にもされない。
そうとは気付かずに名誉を傷つけることこそが目的となってしまうこともあるけど、違うこともある。
嘘を付いた以上は結果がほしいだろう。ならどうするか。無理矢理にでも証拠を作ると言う手段に出る。
例えばB君の友達の一人C君が「実はA君が暴力を振るわれてるところを見た」と言ったらどうなるか。
B君と仲良しのC君が言っているのならそれは証言になるのでは?と周囲の人達は疑いの目を持つことになる。そうなればB君は名誉を傷つけられていればそれで済む状況から一気に最初にA君が考えたようなB君は暴力を振るう悪い奴だと評価が広まり、B君に友達はいなくなる。そしてA君にたんこぶを作ったことと周りに嘘を付き続けてきたことに対する罰を受けることになる。
今までそんなことにならなかったのはA君には信頼できる友達がいたからだ。
その信頼できる友達の中にB君の言う通りに動いてくれる裏切り者がいたらどうなるか。
C君がいったいどうしてB君を裏切ることをしたのかは分からない。何か小さなことでB君に不信感を抱いていたのかもしれない。勘違いでB君と喧嘩していたかもしれない。A君から何かをもらっていたかもしれない。A君関係なしに遊び半分だったかもしれない。
安全だと思ってるところに敵は真の武器を用意する。
世の中には理性と知性と言う言葉が存在する。どちらも似たような意味だけどとある漫画の言葉を借りるなら理性とは平和の中でこそ発揮されるものであり、知性とは何の制限もないものだそうだ。
戦争中なら見知らぬ人からいきなり銃を突き付けられたら死を覚悟するだろう。でももし平和な世の中、パーティか何かだったら?一瞬驚くけど大抵玩具による冗談だと思ってしまうだろう。仮に本物でありこれから射殺されるとしても。
平和だから安心、戦争が起きてないから考えすぎだと言うことは決してデタラメではないけどおかしいことはおかしいと思う事を否定してはいけないよね。
7.むすび
疑心暗鬼になれ!周囲を疑え!だまし尽くして富を貪れ!!!
……なんて言うつもりはないけども人間誰しも保守的にそれまでを守ろうとする心と今までのままじゃいけないと革命的に何かに挑もうとする心は持っていて当たり前である。
本当に怖いのはがん細胞のように明らかおかしな事をしている存在に気を付けること。そして自らがそうならないようにすることです。おしまい。