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瞑想日記㉔【「宮古島のおばあ」から教えてもらった智恵を本に】

12年サイクルでやり残したことは何か?


年の初めは、皆さんは抱負など考えますか?


2022年は占星術では12年サイクルの最後の年でもあり、
2023年からの新しく始まる12年サイクルの前に、
「2010年から2022年の間で、やり残した事は何かあるか??」を考えていていました。


やりたいことを考えるというよりは、「やり残したことを考える」という考え方をしてみました。


すると、この12年間にやり残した事に、「宮古島のおばあから学ばせていただいた智恵を1冊の本にまとめる」という思いがありました。



自分事ですが、12年サイクルの初めの2010年は、私の人生を変えたわの舞の創始者でもある千賀一生先生と出会い、2011年は今の探究の道に導いていただいた道人(タオ)マスターkan.さんと出会いがありました。

お二方とも、今の自分のゼロマインドの活動に至る、数々の教えを学ばせていただけました。


そして、もう一人、この12年間で、多くの学びをいただいたのは、宮古島のマツおばあです。
(“おばあ”は宮古島では目上の女性に対する尊敬や親しみの呼び名)



マツおばあとの出会い

マツおばあとの出会いは、2013年、夫婦で新婚旅行も兼ねて宮古島に行った時になります。


私たちは、ただの旅行ではなく、もう衰退しかけていた、宮古島や沖縄地方に残されている、女性が中心となって神に仕えて祈る母系社会の痕跡を知りたいと思っていて、その智恵を持つ方と出会いたいと願っていました。


そして、宮古島滞在の最終日に、ある集落の御嶽(うたき)という、中には部外者は入れない神様がいらっしゃる場所の前で手を合わせて帰ろうとした時に、
ちょうど御嶽の掃除で入れ違いに来られたのがマツおばあでした。


マツおばあは、
「あんた達は何で宮古島に来たか?」
と声をかけていただき、
私たちは、
「新婚旅行で宮古島にきました。今日が最終日なんですが、この集落の祈りの映像を映画で見て、感動してこの集落にきました。」
と答えると、
「それは神様に導かれてきたんだね。なら、御嶽の神様にご報告して拝んで帰るといいさ」と言って、
なんと!御嶽の中(部外者は入れない)!に直接案内していただきました。


マツおばあの事をお話しすると、
35年間も神様の場所であるこの集落の御嶽(うたき)の世話をしてこられた方で、
この時は7,8年近く、祈りの継承が滞ってしまっていた時だったのですが、
その間もマツおばあが、たった一人だけで御嶽をずっと守り続けてこられた、そんな方でした。


マツおばあと御嶽に上がらせていただき、沖縄地方独特の線香を焚いていただきます。


そして、目の前に祭壇があり、神様に、私たちが新婚旅行で宮古島に来たこと、そして、私たち夫婦を宮古島の神様が守ってくださるようにと直接お祈りしていただきました。


私たち夫婦としては、本当に神様に導いていただいたような奇跡的な出来事で、
その時の、御嶽の中での、神様とマツおばあと私たち夫婦の時間は、
私たちが求めていた、宮古島に脈々と残された母系社会による祈りを本当に伝えていただけたようで、心の奥に今でもずっと残っています。


せっかくの出会いでしたが帰りの飛行機の時間ギリギリとなり帰ろうとすると、
マツおばあから、
「今度来る時は家に遊びに来なさい。その時にまたおばあと話をしましょうね。」と、言っていただいたのです。


「この一時の関係なのに、おばあの家に遊びに行ってもよいのかな?」という疑問も正直過りましたが、
そこが私が生きてきた当たり前の人間関係と、宮古島や沖縄地方の当たり前の人間関係の違う所で、
同じ日本でも人の心との繋がり方や距離感はこんなにも違うんだなと、その心の近さをとても実感したのを覚えています。

そこから9年間、今では本当のおばあちゃんのようにマツおばあとのご縁が繋がることとなりました。


マツおばあから聞かせてもらう宮古島の智恵

マツおばあに会うたびに、私たちは、マツおばあの話を、スポンジが水を吸収するくらい、聞いていました。

マツおばあの話は、私が学校やテレビで学んだ人生観や人間観、死生観とは全く違っていました。


戦後の貧しい時代から、宮古島の神様への祈りと共に生きてこられたマツおばあの話は、「神様が見てくれている心と共に生きる」という事を教えていただいています。


私が学校などでそれまでに学んだ人生観や人間観、死生観には「心」が抜け落ちていました。

全てが形や結果的で、その背後にある、本当に私たちが感じている心そのものには誰も気づけなくなっていました。


心が抜け落ちた私たち現代人の「生きる」ことは、おばあから聞く「生きる」ことと、意味も目的も大切にすることも、全て違っています。


違っているのですが、おばあの話の方が、心を持つ人間としての「生きる」話としては当たり前に聞こえました。


心とは不思議な世界だよということを、いろんな話から何度も教えていただき、その心を神様がいつも見ていることを、マツおばあの人生の経験や、先輩のおばあから御嶽で直接教わった智恵から教えていただきました。


私は、もともとは宮古島で衰退しかけていた、脈々と続いてきた母系社会の祈りの伝承を少しでも記録したい、という思いでしたので、マツおばあの話を9年間ボイスレコーダーに録音していました。

それが、今となっては何時間にも及ぶ記録となっています!


今、マツおばあは、足が悪くなってしまい、とうとう御嶽のお世話が難しく、身を引くことにされました。


そのタイミングで、今までマツおばあから聞かせていただいた、おばあの智恵、宮古島の叡智を何か形にしていく必要があるのではないか、と感じるようになりました。


今まで聞いてきた話を振り返ってみると、マツおばあの話はどんな人にも役に立つ内容ばかりに感じています。

宗教的な難しい話ではなく、
誰もが生きていく上で、苦しい時や辛い時に、自分の心とどう向き合って生きていけば良いかという、宮古島のおばあ達による智恵の話です。

それは、戦後の貧しい時代を生きてきたマツおばあの命から話してくれる"生きた"教えでした。

今は電子書籍など、誰でも簡単に本にできる時代となり、
この12年間、私たち夫婦に沢山の学びを教えてくれたマツおばあの心と言霊をまとめることが、12年サイクル最後の今年にやり残していることだなと感じています。


実は、一度取り掛かったのですが、量が膨大すぎて挫折してしまい、
今回、「やり残したことは何か」という視点から考えてみることで、実現にむかえそうな気がしています。


1年間かけての挑戦になりますが、陰から応援していただけたら嬉しく思います。

2021年マツおばあと


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