「記録」と「記憶」の追求は、「記録」するのがマストだと気づきを得る
「記録」と「記憶」という文字を眺めていると、「当たり前だろ!」と突っ込まれるのは承知なのだが、どちらにも「記」という同じ文字が存在する。
改めて、意味を調べてみると "2つ" あり...、
一つは、『書きつける。しるす。』ことを指し、脳で考えていることを「紙に書く」「パソコンにタイプする」などの手法で out put する作業のことだ。
今日もせっせと "note" に文章を書き、情報の編集作業をすることを意味するのであろう。
もう一つは、『心に印象をとどめる。おぼえる。』とあり、学んだことや経験したことなどを頭に覚えておく、または残しておくことを意味する。
「後者ほど、当てにならないコンテンツはないよね」と感じていて、石川の大脳辺縁系にちょっぴり存在する海馬は、記憶を保存する場所とされているも、ご存知の通り年々そのチカラは弱まる一方だ。
#頑張れオレの海馬
前者の「どれだけ時がたっても、正確に記すコンテンツ」だけでは「想像力」に欠ける部分がるのも明らかなる事実。
そのため、「新しいモノを創出する」「ヒトをドキドキ・ワクワクさせる」など、感動を生み出すアレコレとは対極の位置に存在し、どうやらこの二つの合わせ技が必要になるとようだ。
運動に例えるならば...。
「速筋連鎖運動」と「遅筋連鎖運動」の『クロスオーバー』を促すことで、地球の重力に対して自らのカラダをバランス良く動かすことができる、運動選手にとってはベラボーに大事な関係性のこと。
東洋的思想の「陰陽説」で例えると。
「陽」を代表する10万ルーメルの世界一明るいライトと...、
「陰」の世界一暗いとされるカナリア諸島のロケ・デ・ロス・ムチャーチョ
ス天文台とを比較すると...、
シンプルに「どちらもヒトが住める場所ではないので、"程よく明るく、程よく暗い場所" が住みやすいよね」ということで落ち着く。
#陰中に陽あり
#陽中に陰あり
とにもかくにも、この対極にある "2つ" のどちらかに振り切れるのではなく、「量質のバランス」に加えて「混在」することで、ヒトの創造力への可能性を導いてくれるのだと思うところだ。
「脱・ウエイトトレーニング」と、誰もが「あのヒト、ウエイト批判している!」と思われるフレーズをよく利用しているのだが、ソコには「過度な」と記載がある。
一部分を切り抜くと、勘違いを生み出し本質を見失う典型的な例だと。
「記憶」だけに頼ることなく...、
「記録」との組み合わせワザを活用し...、
そのためには「記録」することが大前提のため...、
現場で「ハッ!」と気がついたことは、"秒" で「記録」しておくこと必要。
なぜなら "分" が経過した時には、海馬に激しく問い正しても「なんのこっちゃ?」と思い出すフリさえしてくれないのだ。
コレは、野村克也氏の名言だ。
思考を常に out put するクセづけをしよう。
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