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「コズミック・ピクニック          /cosmic picnic」2

 朝八時三十分、僕らは父さんの運転する車に乗りこんだ。そして、ともかく、父さんは車を発進させた。まず僕らは、近所にあるヒッピー好みの雑貨店に立ち寄ることにした。そこでビーガンクッキーとか、ロービスケットとか、何が入っているかはよく分からないけれどともかく材料が特別なディップだとか、無農薬栽培のフルーツを買った。
 それから今度はバスケットいっぱいの食べ物と一緒に車に乗り込んで、僕が「動物園の方」と呼んでいる方角に出発した。
 車内の会話は少なかった。四人それぞれが、まるでカーナビになったみたいに自分のフィーリングに意識を集中していたからだ。どこを目指しているかは分からないけれど、間違っているかどうかはなんとなく気分で分かる、みたいな具合のドライブだった。
 車は町を抜けて田舎へ田舎へと進み、山奥へ山奥へと坂を上り続けた。道はどんどん細くなる。やがて山中の一本道になると、ようやく集中をゆるめるて会話を交わすようになった。

 お昼近くになって、とうとう僕らは「ここだ」と思える場所にたどり着いた。シーズンオフの湖だ。駐車場には一台も車が止まっていなかった。まずは手足を伸ばしがてら周辺をぷらぷらと散策した。風は強いしあまりに寂しい場所で少し心細くなったけれど、遠くにポツンとキャンプのテントとワゴン車が見えてちょっぴりほっとした。「寒いね」「静かだね」を連発してから、湖と駐車場の間にある木立でブランチにすることに決めた。
 木立の中にあるテーブルに食べ物を詰め込んだバスケットを運び、僕らは買ってきたクッキーやフルーツを食べた。寒かった。「おいしい」「まあまあ」「これ、変わった味」等の食べ物の感想と、「さむっ」という寒さに対する率直な感想を二対七くらいの割合で言い合った。あ、残りの一割は、「静かだね」だ。
食事が終わる頃には、風が少しずつ弱まってきていた。ブランチを食べ終えると(みんなそんなに食べなかった)、僕らはそれぞれ好き勝手に過ごした。過ごす、と言っても何ができるわけでもない、ぷらぷら歩くか、湖の周りの砂地の上に座るか、寝ころぶか、くらいのものだ。
 僕はまず、砂地に寝ころんでみた。太陽が不思議なくらい暖かかったのを覚えている。本当に奇妙だった。木立の中でクッキーをかじっていたときは北風にすっかり参っていたのに、砂地の上で仰向けになるとスポットライトでも当たったみたいにぽかぽかしてくる。僕はしばらく、その心地よさを楽しんだ。あんなにも「太陽」というもののエネルギーを生々しく感じたのは初めての経験だった。
 太陽の感触を味わっていると、『地球の上に寝そべっている』、という感覚がふつふつと沸き上がってきた。どこにいたって地球の上なのに、奇妙だ。でもあの日、砂地に大の字になっていたとき、身体の裏っかわにマグマ、身体の表っかわに太陽の熱、という感じでクリームビスケット(チョコでコーティングされていないやつ)のクリームみたいに、二つのエネルギーに挟まれている体感をありありと感じていた。表も裏もふわふわと暖かなエネルギーで押されて、とても気持ちが良かったのを覚えている。
 少しうとうとした後で、僕は立ち上がって湖の周囲を歩く事にした。湖の周りは大小さまざまな形の石ころが転がっていて、一歩進むごとに石がぶつかりこすれ合う乾燥した質の軽妙な良い音がした。僕は割と音フェチなので、一歩ごとにどんどん楽しい気分になった。その上、側に横たわる湖の音は甘いほど柔らかくチャプンチャプンと、よほど月の具合がいいのか、このあたりの風がやり手なのか分からないけれど、心がとろけるような気持ちのいい水音を聴かせてくれる。
 つい先ほども言ったように僕は音フェチだから、我慢ならずスマホに湖の音と足音の両方を録音しながら歩いた。うっかり僕の感嘆の吐息が漏れ入ってしまったのは失敗だったけれど、それでもその録音はちょっとした僕の宝物なんだ。時々聴いているよ。音を聞くと、たちまちその場所の体感覚に戻れるのが良いよね。
 湖の三分の一くらいを歩くと、キャンプテントの近くで若い夫婦と大型犬がぷらぷらしているのが見えた。そこで僕は引き返すことにした。閑散としたキャンプ場では、静けさが美徳であるような気がしたんだ。誰もがこの静けさを破ることを望んでいないように感じた。
 そこからブランチを食べた木立の方を見ると、母さんと父さんと姉さんがあざらしみたいに寝転がっているのが豆粒くらいの大きさで分かった。とても静かだった。とても、とても静かだった。

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