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自己紹介

かつて、私は人との会話が大の苦手でした。

特に新しい人と話すたびに緊張し、何を話せばいいのか分からなくなり、ただ縮こまってしまう自分がいました。大学に入る前までは、それほど自分を意識することもなかったのですが、アルバイトやサークル活動を始めると、自分の限界が次第に浮き彫りになり、自信がどんどん薄れていきました。

特に、断ることができない性格が災いして、自分のやりたいことも、引き受けたことであっても、こなせなくなってしまう場面が増えました。

「できない」と言うのが怖くて、結果として約束を守れない自分に自己嫌悪を募らせる日々でした。遊びや飲み会の誘いも同様で、行くこと自体がストレスなのに、Noと言えずに参加し、後悔するばかり。心地よい関係だけに閉じこもる生活を送っていた私が、今ではコミュニケーションを教える立場にいることは、過去の自分からは想像もできませんでした。

そんな私が変わり始めたのは、研修医として働き始めた頃でした。

学生時代、勉強には時間をかけてきたので、最初は仕事が楽しく、充実感もありました。自分が成長している実感もあり、毎日が新鮮で、目の前の患者さんに対して精一杯尽力していました。しかし、やがて周囲の状況が目に入るようになってきました。

同期がメンタル不調に陥ったり、看護師や事務スタッフから「仕事がつらい」という悩みを聞く機会が増えたのです。仕事に対して悩んでいる彼女たちの相談を受け、私なりに共感的な言葉をかけていたつもりでした。しかし、内心では「仕事は楽しい」という自分の感覚が抜けず、心からの理解や共感はできていなかったのだと思います。表面的には「わかる」と言いながらも、実は本当の意味で彼らの気持ちに寄り添えていなかった自分を、今振り返るととても恥ずかしく思います。

その後、そんな私にも転機が訪れます。それは、ある日突然やってきました。仕事を楽しんでいた私が、少しずつ「しんどさ」を感じ始めたのです。当直が続くと、体力的に限界を感じるようになり、当直の翌日だけでなく、その後数日間続く疲労。いつしか「仕事が楽しい」という感覚は薄れ、ただ眠気や疲れと戦う日々になっていきました。

そんなとき、偶然手に取った本がヴィクトール・フランクルの『夜と霧』でした。その中で語られていた「人生の意味は自分で見出すもの」という言葉が、私の心に強く響きました。それまで私は、周囲からの評価や期待に応えることで自分の価値を見出していたのだと気づかされました。しかし、この本を読んだことで、初めて「自分は何のために働いているのか?」という問いを深く考えるようになりました。

その後、大学病院で研修していたとき、ある難病を抱えた患者さんとの出会いが、私の人生を大きく変えました。その患者さんは、病気と向き合いながらも「どうしても仕事を続けたい」と強く願っていました。病気によって日常生活もままならない状況にもかかわらず、彼女は社会とのつながりを持ち続けたいと言い、そのために産業医に意見書を書いて欲しいと頼まれました。

私はそれまで「働く」ということについて、深く考えたことがありませんでした。しかし、この患者さんの言葉に触れたことで、「働くとは何か?」「どうすれば健康と仕事を両立できるのか?」という新たな問いが私の中に生まれました。そして、その問いの答えを探すために産業医の道を歩むことを決意したのです。

産業医をするために勉強する中で、私は次第に「働く人が自分らしくいられる環境を作りたい」と強く思うようになりました。そして、実際に産業医としてさまざまな職場で活動を始めることになりました。

今、私は十数社の企業と関わらせていただいています。そこで働く人々と向き合い、安心して働けるためのサポートをしています。その中で感じるのは、上司であれ部下であれ、役員であれ、皆が一生懸命に働いているということです。彼らの多くが真剣に仕事に取り組んでいるにもかかわらず、すれ違いや誤解によって問題が生じている場面が非常に多いのです。それを見るととても勿体無い気持ちになってしまいます。

私はこうしたすれ違いを解消し、皆が自分らしく働ける環境を創るために、これからも活動を続けていきたいと思っています。

さまざまな人の思いを聞く立場であるからこそ、お伝えしたいことがあり、このnoteを始めました。働くのがしんどいなと思う人や、同僚にどう接したらいいかわからない人は何かの参考になるかも知れませんので、たまに覗きにきてもらえると嬉しいです。

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産業医|平井
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