やる気の出し方
よく「もっとやる気を出せ」と言われる。
小学生の卒業式の練習時、
「口が開いてないから声が出えへんねん」
「指3本入るぐらい口開ける練習してこい」
と言われ、家でやってみるとギリギリ3本入るが、この状態では声なんて出ないどころかえづいてしまう。
そう思ったので次の日、何食わぬ顔をしていつも通りの口の大きさで歌っていたら、舐めているのかとブチギレられた。
腹が立ったので、声は出さずに歌詞もガン無視で、口を魚のようにただ、大きくパクパクさせてみた。
すると先生は満足そうな顔になった。
声は出ていなくても、声が出ていそうな見た目であればいいらしい。
そんなものに何の意味があるのだ。
因みにそのせいでか、中学の歯科検診では顎関節症気味なのであまり口を大きく開けないようにと注意される。
中学生の時の合唱コンクールでも、隣の仕切りたがりの女子に、
「ちゃんとやれ。口パクするな。」
とほっぺたを掴まれたことがある。
因みに口パクはしていない。
シンプルに声が小さいだけだ。
高校の体育祭でも、
「やる気無さすぎるやろ。」
などと言われたこともある。
たしかに、表情筋は死んでいて声は小さいし、リアクションも薄い上に動きもトロい。
けど間違いなく、周りにやる気があるかどうか確認して、いちいち文句を言ってくるあなた方よりかは確実に、今、目の前の物事に対して集中して、やる気に満ち溢れている。
けど伝わらない。
伝わらないどころかやる気がないと怒られる。
負けず嫌いなので、人よりかは基本的にやる気はあるはずなのにだ。
ジャングルジム鬼ごっこというのが小学生の時に流行っていた。
ジャングルジムの上だけで鬼ごっこをするという遊びである。
遊びだろうが頭をフル回転させ、常に何が最適か考えて遊ぶのだが、基本的に頭に体がついてきてくれない。
この方が速く移動できるかもしれない。と挑戦してみるが手を滑らせ、ジャングルジムに頭をぶつけながら落ちた。
目の前が真っ暗で何も見えない。
耳鳴りもするので音も聞こえづらい。
友達が駆け寄ってくる音を頼りに、ジャングルジムを掴んで立ち上がる。
何も見えないが、友達が居るであろう方向を見ながら「大丈夫」と笑ってみせる。
高校生の時のテストでも、必死に勉強して、これは満点いける!と思った時に限って当日体調が悪くなり、一問だけ解いてトイレに行った。
一度席を立つともう問題は解けない。
トイレで吐きながら、あまりの悔しさ、情けなさに泣いた。
なんて不器用でなんて情けないのだろう。
いつも全力だが、いつも上手くいかない。
やる気に満ち溢れているからこそ、上手くいかないことが悔しい。
悔しがっていることさえ伝わらないのも腹立たしい。
だが困ったことに、やる気があるように見せる表情や声の出し方を試みようとはしない。
変なところで自己肯定感が高いというか、
自分のことが嫌いな筈なのに、そういう所は都合よく
「これが私なんで。」
といった具合に、昔から変わる気がない。
バイトで声出しの練習をやらされた時も、
「ちょっと、そういうの無理ですね…笑」
「これ以上大きい声出ないんで…笑」
と、クソ生意気に断ってしまうクソみたいな人間性があるから、こんなにも他人にキレられるのだろう。
きっと皆んなはやる気がなさそうに見えるからキレているのではない。
「卒業式という名の御涙頂戴茶番に何で付き合わされなあかんねん。」
「はいはい。思い出づくり。思い出づくり。」
といった思考が顔から滲み出ているからキレられるのだろう。
まさに自業自得である。
この見出し画像も、脳内ではバッチリイメージできていた筈だ。
全力でやった結果がキョンシーである。
不甲斐ない。
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