私のTwitter遍歴
はじめに
こんにちは。ぜろです。
今回はもうすぐTwitterのアカウントを作成してから10年が経過するので、記念に私のTwitter(X)の歴史を振り返ってみます。
以降、これは中学時代の話なので「Twitter」と表記します。
この記事はそもそも自己満で書いているので、かなり深く私を知りたい人向けです。(そんな人いねぇよ)一応、知らない人向けにもわかるように頑張って書きます。
自己紹介
簡単に自己紹介を。この記事を読むうえで必要な前提知識になります。
Twitterアカウント作成:2014年4月 (中学入学式の前後)
年齢:21歳 (2024年1月現在、この記事を書いた日)
社会人1年目
中学時代(2014~2016)
高専時代(2017~2022)(1留)
中学生時代
ここでは、中学時代(3年間)の私のTwitterの歴史を書き記しています。
たまに時系列がごちゃごちゃになっている部分もあります。
10年前に話は遡ります。私は中学校の入学式の前の日あたりにTwitterを始めました。
Twitterを始めることとなったきっかけは、当時書いていたブログ(黒歴史)の読者さんからコメントで誘われたことです。(今は削除済み)
当時私は、自分のスマホを持っていなかったため、PCでアカウントを作りました。PCはリビングに置いてある家族共用の物であったことや、当時は「TweetDeck」も知らなかったことが要因で、ツイート数もかなり少なかった記憶があります。
中1(2014年)の夏か秋に頃に、タブレットを手に入れ、その数か月後に親戚からもらったお下がりのandroidスマホ(SIM無し)を手に入れたことで、ツイート数が急増することとなります。
今は中学生でもキャリアと契約したスマホを所有している人がほとんどですよね。私が中学生の頃もキャリア契約した自分専用のスマホを所有している同級生は割といたんですが、私の家庭は「他所は他所!ウチはウチ!」の典型的なパターンだったので、泣く泣くSIM無しのオンボロイドスマホを使用していました。
中3の頃に父親からお下がりのiPhone 4Sを貰いました。これが初のiPhoneデビューです。相変わらずSIM無しで、Wi-Fiのある場所でしか使えませんでしたが。
どんな人たちと関わっていたのか
中学生時代から高専は第一志望としていましたが、Twitterで絡んでいた界隈は今の「高専界隈」みたいな界隈ではありませんでした。
そもそも、当時は今のように「高専界隈」が大きくなく、私は存在すら知りませんでしたね。
じゃあ誰と絡んでいたのかというと、技術系(電気・情報系)の中高生であったり、高専生・大学生、社会人などでした。当時のTLは、日常会話やアニメの話、エ〇ゲの話等の理系オタクにありがちなキショい内容も多かったですが、技術系の人たちということもあって、モノづくりに関する呟きが多い印象でした。
私も、もともと電気系に興味があったというのもあり、そういう人たちの影響で、はんだごてを握り、動作原理も分らん回路を、見よう見まねで家でシコシコ作っていました。
知識がないくせに危ない実験ばかりやっていたので、界隈の人にたまに叩かれていましたね。
何を作っていたのかというと、高電圧を発生させる回路(知る人ぞ知るCW回路)であったり、自作のIHコンロ、今では違法になりつつあるコ〇ルガン(現在は解体済み)等ですね。明らかに強電側の人間でした。
同じ中学の同級生はFF(フォロー・フォロワーのこと)に居なかったのかというと、数名はいました。しかし、当時は「俺の話を理解できる人間は居ない!」と高を括っていたので、中学の同級生はほとんどフォローしていませんでした。そもそもTwitterやってる同級生が少なかったのもありますが。
中2あたりからアニメにはまり、アニメに関するツイートも増えましたが、やはり私が見ていたアニメ(きらら系、ゆるゆり、リゼロ等)は私の中学校ではあまり浸透しておらず、肩身が狭かったですね。話が通じる同志は何人かいましたが。(ちなみにその''同志''も同じ高専に進学している)
また、中3あたりに、当時仲が良かった技術系の中高生と結託し、技術系のグループを作りました。
Twitterの共同垢を作ったり、共同ブログを作ったり、LINEグループを作ったりしました。やはりそれも他の方々から、「烏合の衆だ」と叩かれたり、下の画像を張られて煽られることもありました。私的にはただ集まって情報共有や意見交換、LTをやるだけでよかったんですが、まぁ色々難しいですよね。住んでいる地域もみんな違いましたし。
グループ結成時は中3で、同じような技術系の知識を持つ中3の子らが何人かいたので、かなり楽しかったですね。グループLINEで他愛のない会話をしたりね。黒歴史ですが今でもそのグループLINEは残っています。本当にいい時代だった。ちなみに、そのグループで当時私と同じ中3だった子たちは、高専に入学したり、進学校に入学して北大に進学したりと、皆さん立派になられました。まだFFに当時のメンバーは何人か残っており、たまにスペース(Xの通話機能)で話したりしてます。
高専入学前の春休み、山口県に住んでいた同じ歳のフォロワーと博多でエンカしました。あと、最近、中学生のころから高専生(私の2歳上くらい)とも初めて会って飲みに行きました。その二人は、私の人生において、結構長い付き合いになります。
ツイ廃になったきっかけ
さて、今でこそ私はツイ廃ではありません(?)が、中2~高専2年くらいまでは無意味なツイートを連投する、いわゆる「ツイ廃」でした。
ツイ廃になった理由は詳しくは覚えていませんが、界隈の人ともっと関わりたいという気持ちの表れだったのかもしれません。がこれは建前です。
(おそらく)本当の理由は別にあります。
当時は「ツイ廃あらーと」という、連帯アプリのbot機能がありました。今はAPI制限で廃止されています。
どういう機能があったのかというと、まずその日にツイート数が100ツイートを超えると、「本日のポスト(ツイート)が100ポストに到達しました」と自動でツイートされていました。以後、100ツイート増えるごとに自動ツイートされていました。
また、1日の終わりに、「@垢名 の○月×日のポスト:△△ポスト」といったツイートを自動的にやってくれます。当時のツイッタラーはほとんどの人がこれを使っていました。
もともと、ツイ廃あらーとはツイ廃への戒めとして作られたはずですが、これが逆効果で、「本日のポストが100ポストを超えました」「200ポストを超えました」の自動ツイートがされる度に私は喜んでましたね。多いときは1日に300ツイートしたりしていました。中2か中3の頃です。完全に狂っています。その頃はもはやTwitterが趣味を通り越して生活必需品になっていました。
どうやってツイート数を増やしていたのかというと、「キチツイ(=キチ〇イツイート)」を連投して増やしていました。こういうのね↓
もちろん、TLが荒れるので苦情が飛んできていましたが、他にも同じことをやっている人が何人かいました。(主に高専生)
キチツイは、どうしてもツイート数を増やしたい時の苦肉の策ですが、この時期はただの日常会話や普通の呟きでも100ツイート超える日がザラにありました。
あとは、これまた連帯アプリで自動ツイート(bot)を組み、時間が来たら自動的にツイートされるサービスを愛用していました。
自動ツイートしていた内容としては「午前3時の茨城県」等があります。(意味はググって)
これもTwitter老人はよく自動ツイートさせてました。
このような文化が消えるのは少し悲しいですね。全部イーロン・マスクが悪い。
そんな私も、受験期にはさすがにツイート数が減りました。(2016年1月~2017年2月くらい?)
このままツイ廃続けていたら高専入試も危なかったかもしれませんね。
ちなみに、フォロワー数は中学卒業時点で600人を超えていました。現在は1,050人くらいなので、単純計算だと高専時代に400人くらいしか増えていないことになりますが、中学時代のフォロワーもアカウントを削除した人が多いのでそれを考慮すると、高専時代に増えたのは500人程度でしょうか?
いずれにせよ、まともなツイートしていなかった気がするんですが、600人もフォロワーがいたのは驚きです。
さいごに
さて、当初はこの記事に高専時代のTwitterでの活動も書こうと思っていましたが、あまりにも長くなりそうなため、今回は中学時代までにしておきます。高専時代の話は別の記事に書こうと思っているのでよろしくお願いします。
最後に、この記事を書こうと思ったもう一つの理由に、中学時代に関わっていた技術系界隈のフォロワーさんが、去年末に投稿していた1つの呟きがあります。
「ぜろくん真っ直ぐに育ったな」
その一言で、久しぶりに界隈の人と昔話をしたくなりました。もはや覚えててくれてありがとうって感じですが。
以上が私の中学時代のお話です。読んでいただきありがとうございました。