好きの先が愛じゃないから、この言葉を伝えよう。ーI LOVE YOUの訳し方ー
わたしにとって一番難しい言葉は、「話を聞いてもらえますか?」だった。
今日食べたランチが美味しかった。
__食べさせてあげたいな。
ハンバーグ1つ焦げちゃったからわたしが食べよう。
__君には美味しいものをあげたいな。
ふっと見上げた空がきれいだった。
__いつか君にも見せてあげたいな。
幸せな感情を渡したい、共有したいと思うのは愛だと思う。彼の、彼女の笑顔を思うと自分も笑顔になる、そんなような。一方通行にみられがちなあれだ。
愛は好きではない、そして好きの先に愛はない。
人というのは非常に利己的な生き物だと思う。誰しも自分がかわいいと思っていて、自分の居心地のよい環境が好き。好きは自己感情であり、愛は他者感情なのではないだろうか。
そしてなにより負の感情での繋がりは無敵である。
愚痴、悪口、不平や不満、人間生きていれば1日1個と言わずでてくるやつら。それは思ってるより速い速度で進み、思ってるより強い結び付きになる。時に人を苦しめ、時に人を助けることもある。
だからこそ、言葉にはその力があるからこそ、大切な人と共有するものじゃないのかもしれない。
相手のことを考えて幸せになったあの時間は、共有したかった時間。穏やかな気持ちでいたかったはずだ。
そんな中でも自分を守るために振り絞った「話を聞いてくれないかな?」をI LOVE YOUと私は訳す。負の言葉はとても突発的に湧き上がる、それを一歩踏みとどまっているのが、話を聞いてほしいという感情だ。
互いを尊重し、その先の笑顔が見えるからこそ、吐き出せる感情があるのではないか。幸せと対局にある負の感情、ここが融合したとき、はじめて愛になるのだろう。