生きるのがしんどいのに、流れていった時間は惜しいのは矛盾している気がするのです。
なにか、年末でも過去の写真でも、物でも。
なにかをみて、あれから何年か…と、何故か悲しい気持ち?というより
自分はなにもしてないでただ生きてしまった。
という遠い後ろめたさのようなものがあり、
何かに謝りたくなる。
とはいえネットしたりゲームして1日が終わってしまうことなんてよくある。
生きるのが楽しい人はきっと過去をほじくり返して憂鬱になりにくい気がしますが、
僕は比較的生きるのが少しだけ難しい体質をしています。
そのくせ何かを残したいとか、成長してないといけないみたいなのに一瞬支配されてかけてしまうのです。
でもまあ、生きるのしんどいけど、人間みんな死ぬなら
本当は時間なんて気がついたら溶けてる方が幸せなのかなって思ったりもするんです。
ま、とはいえまだ死ねないなーと思うし、
死ぬまでにしておきたいいくつかの事があって、
僕の場合は幸運にも死ぬまでやり続けたい事があったりして、
要はまあ、なんだかんだでそれなりに僕らなりに、どうせ生きてしまうので。
そうすればいつかどうせ死んでしまうので、
溶けた時間は喜怒哀楽や紆余曲折あったとしても、
なにもなかったなんてこともないし、
毎日毎日、穏やかに死ねるような生き方をしていけばいいのかなと。
考えてもみてくださいよ。
ほとんどの人間は特に別に、何も残さないし何者でもなく消えてくのです。焦らなくても、すーっと消えれるのです。
生きるのがしんどい人なんてのは、その段階で社会や時代とか教育とか、諸々の環境との相性が悪いわけですし、
それなら目立たずすーっと消える事になんの疑問もないというか、
そんなもんだよね。
知らないうちに朝になってたように、新年になってたように、
しれっと歳をとってたらいいんじゃないかな。
大切な事とか、必須なものはちゃんとした方が良いけど、
毎日毎日、毎年毎年、人生ひとつひとつ、
なんてことないので、
安心して過去の自分の恥を笑ってあげてください。
ちゃんと生きなくても
生きてるじゃん、ちゃんと。
だからまあ、周りと比べたり、
自己承認欲求とか自尊心とかが満たされない人は、
比べようもないだーれも知らないところに行っちゃえば良いんさって、
…この話したっけか?
確認して、してなかったらまた今度書こうかな。
しかし誤字脱字とか、読みづらいところ多いね、僕の文章は。
ごめんよ^^
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