自己紹介
さて、この死を覚悟した経緯を語る上で、僕の人生について語る必要があります。
僕
僕の人生
僕は生まれてから23歳まで、ほぼ、あらゆる欲するものを努力で手に入れてきた人間です。
小学校の頃は、勉強ができないと言われながらも、剣道が結構うまくいっていて、週4以上で剣道をしていました。努力の甲斐あって剣道の先生に気に入られて、いろんな試合に出させてもらったり、特別に週末教えてもらったりしていました。
中学生では、勉強や対人スキルは花開かないものの、剣道では苦労したけど全国大会に出させてもらったりしました。
高校では勉強が好きになりました。高校自体はあまり賢い方でもなかったので、学年でも賢い方でいられたことでいろんな人から、「賢くていいなぁ」とか言われて、まぁ、悪い気はせず、医学部がE判定という現実から目を背けていられました。また、剣道でも、自分がキャプテンをしたり、いい先輩と巡り会えたこと、くじ運が良かったことから、県内でもかなり優秀な成績を収めることができていました。
しかし、医学部E判定という現実は覆せず、僕はあくまでも井の中の蛙であったことがわかりました。(現役のセンター試験は54%)
駿台に入り、医学部というものがいかに難易度の高いものかも知りました。
もちろん、絶望しました。医学部を選ぶ人間の中で、いかに自分の立ち位置が低いかを突きつけられ、一時は違う職業を考えたこともありました。しかし、両親に支えもあって2年間ひたすら勉強に打ち込み、どうにか地方国公立医学部医学科に合格することができました。
大学では、彼女いない歴=年齢ではあるものの、友人に恵まれました。2年になって、本気でできる部活がしたいと思い、友人の誘いもあって、バレー部に入ることになりました。
バレー部には尊敬する先輩、仲のいい同期に恵まれました。たまたま、人が少なくなったことで、2年生の後期から試合に出させてもらえるようになり、その試合で活躍するためにも、自分の時間ほとんどを筋トレなど、バレーに費やしました。
しかし、3年生になった頃ごろから、膝に違和感が出てきて、5月ごろには激痛が走るようになりました。初めは、サポーターなどの問題だと思って放置していましたが、ついに、ある朝、目が覚めると、膝が伸びなくなっていました。診断は半月板損傷でした。
絶望しながらも、手術をしてリハビリをしたり、筋トレをしたり、バイトと彼女作りに明け暮れ、筋トレでは自己ベストを更新したり、バイトではいろんな仕事を任されたり、彼女ができたりと、なんだかんだでうまく行き、部活に復帰することにしました。
4年生(今年)になって、バレー部に復帰しても、リハビリ期間に筋トレや柔軟をしていたことで、復帰した後も結果がついてきて、夏までには今のレギュラーを超えるつもりで、練習に打ち込んでいました。
この頃、僕は「努力したら、あらゆることができる」と考えていました。何かができない人は努力が足りていないだけで、ひたむきに努力を突き詰めたら、結果は必ずついてくると、、、
しかし、この4月ごろから膝に違和感が生じ、6月頭にMRIをとった結果、半月板がまた割れていることがわかりました。そこで、手術費用、復帰したとしても、自分に残っている練習時間を加味して、プレーヤーを諦めることにしました。
人間の心には慣性力があるもので、突然止まれと言っても、止まれないものです。心地よく張り詰めていた糸が突然切れると、そのエネルギーのやり場に困りました。
怪我が発覚して、1週間ほど経った時、彼女の家で見た、コードブルーに出てきた若年生ALSの患者と、部活の中で立場を失った自分を重ねてしまい、自分もその病気にかかってしまうかもしれないと考えてしまうようになり、ALSについて、ネットでひたすら調べてしまうようになりました。
その時、たまたま膝の動きが悪かったり、疲れていたりしたことで、ネットの症状に合致している症状があって、その病気について、さらにのめり込んでしまうようになりました。
この頃から、サイバー心気症と僕の戦いが始まりました。
体の一部が少し痛かったり、疲れているだけで、病気に対する恐怖心が襲ってきます。さらに、ネットはタチが悪くて、病気についての情報ばかり出してくるし、病気のことばかりを考えさせるように仕組んできます。
怖くなったら、検索して、さらに怖くなる。これがずっと続きます。
ひどくなると、こんな病気になるぐらいなら、自分の手で、、、と考えたこともありました。
さらには、なぜ人は生きるのか、なぜ自分は生きるのか。人は死ぬのになぜ生きる必要があるのかなど、死生観についての悩みや恐怖が出てきました。
救いは、見限らずに支えてくれる彼女、家族、親友がいたことと、大学の精神科の授業で習った心気妄想の知識です。
ギリギリ客観視できている自分で、精神科に行き、大学のカウンセリングを受けました。
しかし、知識があっても、専門家であっても、どれだけ親身に話を聞いてくれる人がいても救ってくれるわけではありません。
自分の心を救ってくれるものは最終的に自分自身であることに気づきました。
次回からは、どのようにして、自分が快方に向かったかをお話ししたいと思います。しばしお待ちください。