私のもつ傾向性とは?
そもそも、傾向性という言葉の選択は、スピノザの「コナトゥス」の考え方が元になっている。人の本質は、何かある刺激を受けた結果変容する傾向性、恒常性にある。という考え方である。
なので、これは私の本質とは?という問いにも言い換えられる。
私の傾向性の一つは、元々ある材料を、目的やみんなにとって良い方向性に生かしていきたい気持ちが強い。小学校の頃、学級委員をしていて、皆の意見を丸い方向に持っていくのが好きだった。今も、皆や物が、元々持っている持ち味や、得意、好きをいい感じに生かしていきたい。適材適所とか、考えて実現するの好きだし、自然とやってしまう。もっと磨いてきたい。
最終的に、いろんな人の脳みそがつながったら良いのにとかをふわふわ考えている。そうしたら、ある人が使おうと思って買ったけど、結局使わなかったものとか、ある人にとってはやりたいことを、やりたくない人がやってる状況とか、先人の失敗とかを知れて、学べるのに。と思う。インターネットのもっとみんなが発信してて、情報得やすくて、地域的な身近にもアクセスできる。みたいな。
こんな感じでふわふわと考えるのも私の傾向性だし、抽象的すぎるのも私の傾向性。おそらく独特な言葉遣いも傾向性。
実現可能、不可能に関わらず、色々な空想が常にうごめいている。これはMBTI診断にありそうな言葉回し。
あとは、楽しい空気に持っていきたい。面倒臭いことが苦手。
意味なく軽視されることを嫌う。コンビニタメ口おばさんとか、ムッとしてしまう顔には出さないけれど。子どもが、子ども扱いされているのを見るの苦手
飽き性で、変化を求めるけれど、精神的な安定は欲しい面倒くささがある