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ショートショート『少女の夢』

『少女の夢』

 読書感想文の宿題を半分ほど終わらせてしまったところで、わたしは少しウトウトしていたようです。

 10分だけなのか、それとも2時間ぐらいそうしていたのでしょうか。部屋の時計を見てみましょう。
 ああ、そういえば。
 寝始めた時刻は何時だったのか、正直よく覚えていません。とにかく今、時計の短い針は8時と9時の間、長い針は30分と35分の間の所を指しています。

 机に突っ伏すように寝ていたせいか手のひらに痺れが残っている気がしましたが、中学校の授業中に寝てしまったときのいつもの感じだと思います。些細なものです。

 それでは、ちゃんと目を覚ますためにコーヒーを淹れたいと思います。
 わたしのお母さんだったかおばあちゃんだったかが、まだわたしが小さい頃に“大人の趣味”と言って教えてくれたもので、その言葉がとても気に入っています。ですから中学生になって、自分でコーヒーを飲むようになりました。

 まだ寝起きの気だるさが残っているときは、部屋から伸びる廊下が嫌に長く感じますね。ですが、長いといっても家の中ですから、ほら、もうキッチンにつきました。

 ポットにはすでにお湯が湧いていますので、豆を挽くことにしましょう。苦みと酸味が強いのはあまり好きではないわたしは、お父さんがブレンドして袋に詰めてくれた、わたし専用のコーヒー豆を使います。

 それでは、いよいよ本番です。コーヒーを淹れていきましょう。
 コツは、ゆっくりと“の”の字を書くように、焦らず、心を込めてお湯を注いでいくことです。ご覧ください、ドリッパーの中の細かく引いた豆から湯気が立ち、リビング家全体に広がっていくようです。

………え、なんで………。

 緊急事態発生です。
 いつものコーヒーの香りがありません。コーヒー豆は袋パンパンに詰まっていました。昨日の夜におかあさんが新しく豆を継ぎ足したはずでしたので、腐っているなんてことはないでしょう。

 そういえばさっきから、わたしの体や家の中のようすが少しおかしいのです。なにか体がふわふわした感じがして、壁に飾ってある絵の場所が変わっていたりしている気がします。

 わたしはマグカップの中の…。なぜかマグカップの中に入っているコーヒーを一口飲むことにします。

 やっぱり。味がありません。

………………夢?

 はっきりとわかりました。
 わたしは今夢の中でコーヒーを飲んでいます。これまでの、長い廊下を歩いたり、棚からお母さんの特製コーヒー豆の袋を取り出したり、ポットからゆっくりとお湯を注いだりしたことも全て夢だったのです。現実のわたしは部屋の机の上で、読書感想文の宿題に疲れて眠っているのです。

 少し変な感じがしますが、これは自分は夢の中にいると認識できる“明晰夢”というもので、今までも何度か同じような経験をしたことがあります。終わらせるやり方はとても簡単で、いつも、「覚めて」と一言発するだけです。

 でも、このまま起きても結局やりかけの宿題が目の前にあるだけでつまらないでしょう。夢の中のわたしはいつも自由で、やりたいと思ったことは何でもできます。
 なにか現実離れしたことをやってみましょう。

 大きく手を広げて空をイメージすると………。
 ほら、飛べましたよ!

 風を感じることはできませんが、わたしは鳥のように家の上空を飛び回っています。夢だとこんなことができちゃうんです。

 では家に帰りましょう。と言っても夢の中なので。
 はい。こうやって想像するだけで部屋の中に到着しました。すごいでしょう?
 次は何をしましょう。

ん?あれ?もう、終わり?あっ………………………。


 
 わたしは今顔を上げ、窓から入ってくる夕日の光に目をすぼめています。

 先程の夢と比べてハッキリとした痺れが、手のひらに残っています。足も痺れています。もう少しだけ、痺れが収まるまででいましょう。
 時計の針は、16時ちょうどを指していて、寝起きの感覚がとても現実的なものになっています。目蓋が重いです。

 あの夢の最後は、現実のわたしが起きようとしていたことを、夢の中のわたしが察したということなのでしょう。なんにしろ、もう空を飛ぶことも、瞬間移動して行きたい場所に行くこともできません。少し残念な気分です。
 でも、この世界でだってできることがあります。

 コーヒーを淹れましょう。
 ついさっき、お湯を注いでも香りがしてこないというとても悲惨な目に合わされたわたしは、今すぐにでもコーヒーを飲みたくなりました。
 
 コーヒーは間違いなくお母さんが教えてくれたものです。おばあちゃんもう亡くなっていて、お父さんはコーヒーの味が苦手と言って飲むこともありません。

 キッチンまで伸びる廊下はいつも見慣れた長さで、わたしは今しっかりと床を踏みしめて歩いています。リビングに飾ってある絵もいつもと同じで、当たり前のようですが動かずにいます。

 キッチンにやってきました。ポットに水を入れて火にかけます。やっぱり最初からお湯が湧いていることなんてないんです。
 棚の引き出しを確認しましょう。いつものコーヒー豆の袋が入っています。夢の中でこの袋はパンパンに膨らんでいましたが、この袋からは中のコーヒー豆を少し使ったことが伺えます。
 なんとなく、こっちの方が現実味がありますね。といっても現実なので当たり前ですよね。
 
 袋を開けるとコーヒー豆の香りが鼻いっぱいに入ってきます。いくら自由に空を飛べたとしても、この香りと引き換えに目覚めない、なんていう選択肢はありません。やっぱりこちらに帰ることができてよかったです。
 それでは、挽いていくとしましょう。

あっ。

 豆を一粒落としてしまいました。
 こんなふうにこの世界ではすべてが上手くいくことなんてないのです。コーヒー豆は床に落ちますし、自分の足で歩いて行きたい場所に行かなくてはなりません。



 ………………少し聞いて下さい。

 わたしは今落としたコーヒー豆を拾いたくありません。
 なぜか、と問われたら困ってしまうのですが、とにかく拾いたくないのです。

 どこか、嫌な予感がします。。
 数秒前にわたしは、豆が床に落ちた音を聴きました。キッチン台の上から一粒落ちていくところも見ました。今わたしの足元にはコーヒー豆が一粒あります。

………………………。

 そうですよね!大丈夫ですよね。わたしの考えすぎですよね!さあ、勇気を出して拾うことにしましょう!

………………………。

 嫌な予感が的中しました。

 床に落ちたコーヒー豆が15粒に増えています。
 数えたわけではありません。絶対に15粒だということを、わたしが制御できない脳が認識しています。

 大丈夫です。ただ。そう、ただ数が増えただけです。一粒だろうが15粒だろが、拾ってしまえば一緒なのです。拾えばお母さんがわたしのために教えてくれた、あの美味しいコーヒーを淹れられます。

………………………。

 手が届きません。どうやら私の体が地面から数十センチ浮いているようです。顔をつねって無理やり起きましょう。
 痛っ。
 痛みが顔全体に走りました。もうここは夢でも現実でもなくなってしまったようです。

(ああ、もう!早く覚めてよ!お願いだからっ!)

 そう叫ぼうとした声が喉につまって息苦しくもがいている私を、絵の中の女が私を指差し大笑いしています。床いっぱいに広がったコーヒー豆の空中で、流れた涙が天井へ向かって昇っていきます。


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