ショートショート『ムカデ~自己消失物語~』
あるなんでもない晴れた日、私は勉強の息抜きのため外に出向こうと思いました。そこで部屋にいない間は換気をしておこうと、デスクのすぐ上にある窓を開けて出ていったのでございます。
息抜きと言っても、私の住む田舎では散歩をする以外の選択肢はございません。また、いつも決まった道を歩くわけではなく、着の身着のまま、目についた道に足が進めばそれに従うだけなのです。
ですので、玄関を出て何度か右に曲がり、何度か左に曲がりを繰り返して、家からの距離がゆっくりと離れていくのを楽しんでおりました。
散歩中の私はいつも考え事をしております。
(大学生活には馴染んできたものの、熱中して何か取り組むということもありませんし、かといって勉強に不真面目だということもありません。私はこれからどんな人間になって何をして生きていくのでしょう。)
田んぼのあぜ道を歩き、電線で結ばれた、どこまでも先まで続く鉄塔を、見ながら私はまた考えます。
(友人は片手で数えるほどできました。ただみんな一人の時間の方を大切にされているようで、会うのは授業がある日だけなのでございます。スズミさんやほのかさんも、私と同じように散歩や読書を楽しんでおられるのでしょうか。)
こんな風に、浮かんできた考え事を答えを出さないままポイ捨てしながら歩くのです。私の散歩道に置かれた質問を、いつか誰かが拾ってくれて、こっそり私に答えを教えてくれるのを待つばかりです。
私は何度か左に曲がり、また何度か右に回って家に帰ってきました。
9月も終わりかけといったところですが、この頃のは10月になるまで夏の残暑が厳しいところでございます。つい1時間前に窓を開けておきました部屋は、蒸し蒸しとした熱気に満ちておりました。
さて。
私は窓を締めて再び冷房をつけ、一度部屋を出た後、シャワーを浴びて戻ってきますと、もうすでに部屋の中の熱気は消えていました。快く息抜きを終えることができたのでございます。
ふと私はベッドの上に目をやりました。
見慣れない紐のようなものがありました。
少し近づいてみると、それはムカデでした。
これはなにかの比喩でも、私の深層心理が見せた幻覚でもなく、紛うことなきムカデの姿をそこに認めたのでした。
窓を開けたことによって入ったのだと察しつつ、裁縫道具セットからピンセットを取り、ベッドのムカデをつまみました。
すると、ムカデはスルスルと逃げ、床に落ちました。
なんとか落ちた場所を見逃さず、もう一度ピンセットでつまむと、窓を開けて放りだしました。
ピンセットを片付け、椅子に腰掛けた私は、今起きたことを頭の中で思い返してみます。
ふと不思議な感じがしました。
ベッドにムカデがいたので、私はそれを外に出したのです。
しかし、なぜそんなことをしたのでしょう。
ベッドにムカデがいたときの対応としてはそれでよかったはずなのです。
ですが、なにかおかしかったのです。
すごく雑な言い方になってしまいますが、あのときの私は実に冷静でした。
普通部屋の中のベッドの上にムカデはいるものではなく、少なくとも今までいたことはありませんでした。しかし、先ほどの私の心の中は、本当に淡々としていて、ムカデを外に出す行為がただの日常の一部であるかのようでした。
ベッドの上にあったものが、もし本当にただの紐だったのなら、取り除いて捨てるのになんの感情も必要ないでしょう。
ピンセットを取り出してつまみ、外に出すなんてことはしなくてもよかったはずでした。もしかしたら糸の編み具合が緩まってほつれかけていた紐だったのかもしれません。
私は改めてベッドの上を見てみましたがそこには何もありませんでした。
床の上に落ち、それを再びつまもうとしたことを思い出し、床を見てみましたが、やはり何もありませんでした。
手の中に、なにか小さな道具のようなものを持った感覚がありました。それも徐々に薄れていき、思い出そうとする間もなく、別になにを持っていたかは重要なことではないという気がしてきました。
今日私が窓を開けたのは何回だったか思い返してみました。
今窓は閉まっておりますので、換気の際に開けて、暑くなってきたため、冷房をかける際に閉め直したのでしょう。
私は今なにか考え事をしていたようです。
ただ、特に勉強に関係はないことのように思いましたので、私は勉強を再開しようと思います。
少ししたら息抜きに散歩でも行きましょうか。
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