暴落への備え
(全裸不動産 全裸幡随院)
1929年10月28日のニューーク証券市場において、ダウ平均株価が13%も下落するという記録的な株価崩壊が起きました。「この事件が世界恐慌の引金になった」と世界史の授業でも取り上げられほどの有名な事件ですから、御存知の方も多いはず。
一方、これも有名な事件ですが、1987年10月19日の、いわゆる“ブラックマンデー”においては、ダウ平均株価が22.6%下落し、S&P500先物は29%下落しました。世界のトレーダーを大きな混乱に陥れ、中には一夜にして全財産が吹き飛んだという極端なケースも見られたほどです。
逆にこの一日で、一人なら一生食べていけるだけの禄を稼いだという人もいます。後に触れる『ブラック・スワン-不確実性とリスクの本質』(ダイヤモンド社)など数々の世界的ベストセラーの著者として知られるナシーム・ニコラス・タレブは、この一日で約4000万ドル(85年のプラザ合意以後の急激な円高ドル傾向の最中で、おおよそ1ドル=145円程度でしたから、約58億円ということになります)を稼いだとのことです。
金融アナリストのマーク・ハルバートによれば、“ブラックマンデー”と同レベルの世界的株価大暴落が今月発生する確率は0.06%もあるそうです(その論拠について詳しく検討したわけではないので、このこと自体について云々するつもりはありませんが)。0.06%という数字はそこまで高くないように思えますが、もちろんゼロではありません。
ハーバード大学のザヴィエル・ギャバイクス教授は、自身の研究の中で、株式市場における大きな変動の頻度を割り出す公式を導き出しました。この公式によると、平均で150年ごとに22.6%の大暴落が発生するそうです。
もちろん、これは150年すれば必ず22%超の大暴落が起きるという意味ではありません。極端に長い期間のうちで大暴落が発生する平均回数を予測したものなので、150年間のうちに1度もないこともあり得ますし、逆に何度も起きることもあり得ます。いずれにせよ、大暴落の可能性がゼロという結論は出せない。
1987年以降に、“サーキットブレーカー制度”や“取引停止”等の措置が導入されたこともあり、大暴落は二度と起きないと考える人もいるでしょう。しかし、「このような制度は、暴落を防ぐ上では無力である」と教授は主張します。
そもそも、サーキットブレーカー制度とは、株式市場や先物取引において価格が一定以上の変動を起こした場合、強制的に取引を停止させるなどの措置を行う制度のことを指します。投資家に冷静になってもらう時間を与える目的で設けられました。というのも、どの市場も大口投資家によって支配されている以上、その者らが同時に一斉撤退しようとすれば暴落は避けられません。
仮に、取引停止や何らかのセーフガード措置で米国取引所での販売を阻止できたとしても、外国の取引所では売ることができます。また、株価指数先物取引で空売りすることもできるでしょう。様々な制度のおかげで大口投資家は脱出できないと本気で考えているのであれば、それは「ただの思い込みである」と教授は指摘します。
ギャバイクス教授の研究は、いわゆる“ブラック・スワン(黒い白鳥)”に備えることの大切さを示しています。“ブラック・スワン”は、定義上、“予測不可能な事象”を意味するので、”ブラック・スワン“を事前に予測して、これを回避できると考えるのは矛盾した態度になります。そもそも、“ブラック・スワン”とは、事前にほとんど予想できず、起きたときの衝撃が大きい事象のことを指すわけですから。
元来、スワン(白鳥)は白色と信じられてきましたが、豪州で黒い白鳥が発見されたことで常識が大きく覆されました。このエピソードにちなんで、予測できない極端な事例が発生し人々に大きな影響を与えることを、先に登場したタレブは“ブラック・スワン”と命名したわけです。
“ブラック・スワン”は突然の事象なので、予測は極めて困難です。そうであるならば、いつ起きてもいいように、大暴落から守ってくれるポートフォリオを作ることが重要と言えます。そう、いわば住宅の火災保険や地震保険を購入しておくのと似た発想です。
ほとんどの人は、自分の家が全焼するという事故に遭遇することは考えにくいことですが、だからといって火災保険に入らないという人は珍しい。全てを失うリスクがある以上、保険商品に文句を言わずに払い続けている人が大半でしょう。
それでは、ポートフォリオにおいて、機能的に火災保険と同じ役割をするものとは何か?一つの方法は、ポートフォリオのごく一部を定期的にS&P500の長期プットオプションに割り当てていくというものです。
アナリストのマーク・ハルバートは、2年以上先の期限があり、権利行使価格が現在価格の60%(アウト・オブ・ザ・マネー状態のプットオプション)のS&P500プットオプションの売りに年間3.33%を割り当てるようアドバイスしています。
この戦略は、ある意味、タレブの提唱する“バーベル戦略”と極めて似ていると言えます。“バーベル戦略”は、確率論の研究者であり、クオンツ兼トレーダーであり、ヘッジファンドの科学顧問でもあり、作家でもあるという様々な顔を持つタレブや、そのタレブから大きな影響を受けたマーク・スピッツナーゲル率いるユニバーサ・インベスツメンツの投資戦略です。タレブは、ランダム性、確率、“ブラック・スワン”に対するヘッジ、そして“ブラック・スワン”そのものから利益を得ることに人生を捧げてきました。
プットオプションの買いの戦略を中心に構成されたこの“バーベル戦略”は、日々少量ずつ失血していく苦痛に耐えながらも、一発で大量失血死することはないという、ある種の“迂回戦略”でもあります。大いなる得のためには小さな損は厭わない。
もちろん、微妙に異なる点がありますし、タレブの“バーベル戦略”を支える“ダイナミック・ヘッジング”という特殊なデリバティブ投資手法は複雑な側面もあるので、必ずしも同一視できるわけではありませんが。
ハルバートの話に戻すとして、これをすることで、年間3.33%のある意味での”火災保険料”(プレミアム料)が入ることになります。2006年にハルバートが行った検証試験では、この方法はS&P500自体のパフォーマンスを上回ったため、法外なものではないと言えるそうです。この戦略が常に上手く行くとは限りませんが、“ブラック・スワン”への対策を考えるきっかけにはなるでしょう。
米国史上最悪となった2回の大暴落は、我々にポートフォリオを守ることの重要性を考えさせる絶好の機会になりました。もちろん、“一寸先は闇”とも言え、誰も未来のことを正確に予見できるわけがありません。
数年後、数十年後の未来をさも見てきてきたかのように得意気に語る売文業者がちらほら存在していますが(そういう存在を、タレブは蛇笏のごとく嫌ったわけですが)、そういう“インチキ予言者”の言に惑わされるよりも、仮に、今月“ブラック・スワン”が発生したとしても、パニックにならないだけの十分な備えしておく方が遥かに賢明のような気がします。