道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊲「感覚」や「知識」の延長にあるのが「仏法」ではない
道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊲「感覚」や「知識」の延長にあるのが「仏法」ではない
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。
今回は『普勧坐禅儀』本文の、
声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。
という部分を解説しております。
本記事のポイント
・「声色の外の威儀たるべし」はかの「香厳撃竹大悟」の故事から引用した
・「声色」というのは、「人間」の感覚の世界
・「知見」というのは、「人間」が培った知識の延長の世界
・仏法はその「声色」や「知見」の延長の世界を指すのではない
・それらとは別にある「生命の実物」こそが「仏法」であり、「大自然の在り方」である
・そしてその「大自然の在り方」を「実践」しているのが「坐禅」である
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