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読んでくれた読者の方の心が少しでも軽くなる記事を投稿し、読者の方々と毎日寄り添っていけるblogを目指します。 禅についてや禅僧の物語など日々情報を更新しているブログもございます。宜しければこちらのhttps://zennooto.com もご覧ください。

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最近の記事

道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊹この世界どこを切りとっても自家の坐牀である。

道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊹この世界どこを切りとっても自家の坐牀である。 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃか)す。 という部分を解説していきます。 本記事のポイント ・「自家(じけ)の坐牀(ざしょう)」というのは「単布団の上」のことを指す。 ・色々な所

    • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊷達磨様が伝えたかった事とは?

      道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊷達磨様が伝えたかった事とは? 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 凡(およ)そ夫れ、自界他方、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印(ぶつちん)を持(じ)し、一(もっぱ)ら宗風(しゅうふう)を擅(ほしいまま)にす。 という部分を解説していきたいと思います。 本記事のポイント ・ここでなければならないということはない ・お釈迦様から道元禅師まで50代にも及ぶ祖師方か

      • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊶「平常心是道」とは?

        道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊶「平常心是道」とは? 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 趣向更に是れ平常(びょうじょう)なる者なり。 という部分を解説しております。 本記事のポイント ・今回の『普勧坐禅儀』で道元禅師が一番言いたいのは「その赴くところは何も変わったところのない当たり前の所である」ということ。 ・「平常心是道」という有名な言葉には趙州従諗禅師と南泉普願禅師とのやりとりがある。 ・「

        • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊵「説示一物即不中」が命の正体

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊵「説示一物即不中」が命の正体 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 修証(しゅしょう)は自(おの)づから染汙(せんな)せず、 という部分を読んでいきたいと思います。 本記事のポイント ・「修証は自づから染汚ぜず、」とは慧能禅師と懐譲禅師の問答の一部を道元禅師が引用されたもの ・「何者か恁麼来?」その質問に答えられず、七年間も念提していた懐譲禅師。 ・人間は社会的な生

        • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊹この世界どこを切りとっても自家の坐牀である。

        • 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊷達磨様が伝えたかった事とは?

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          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊴本当の「救い」とは?

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊴本当の「救い」とは? 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 専一(せんいつ)に功夫(くふう)せば、正に是れ辦道なり。 という部分を読んでいきたいと思います。 本記事のポイント ・物事をただひたすらに「行じていくこと」を「専一に功夫する」と言う。 ・ご飯粒の中には御仏様がいる ・全てが一つに溶け合った仏の命。二つとして分かれない。 ・つまり「俺の考え」とか「ワタクシノ物

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          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊳正しい生き方に出会う事それが「悟り」

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊳正しい生き方に出会う事それが「悟り」 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 然(しか)れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡(えら)ぶこと莫(な)かれ。 という部分を読んでいきます。 本記事のまとめ ・仏道修行(命)において能力があるとか、ないとか。頭が良いとか悪いとかは一切関係ない。 ・誰でも彼でも坐れるのが「坐禅(命)」であり、道元禅師のおすすめになる『普勧坐

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊳正しい生き方に出会う事それが「悟り」

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊲「感覚」や「知識」の延長にあるのが「仏法」ではない

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊲「感覚」や「知識」の延長にあるのが「仏法」ではない 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。 という部分を解説しております。 本記事のポイント ・「声色の外の威儀たるべし」はかの「香厳撃竹大悟」の故事から引用した ・「声色」というのは、「人間」の感覚の世界 ・「

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊲「感覚」や「知識」の延長にあるのが「仏法」ではない

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊱禅の指導者が導こうとした世界とは?

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊱禅の指導者が導こうとした世界とは? 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。豈に神通修証(じんずうしゅしょう)の能く知る所とせんや。 という部分を読んでいきます。 本記事のポイントまとめ ・禅の指導者が導こうとした世界は、「我々が今ここに生きている実物

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          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉟臨済禅師と三聖慧然との仏法の相続におけるやりとり

          本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 本記事のポイント ・「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせたもので、それぞれに過去の仏祖方のエピソードがある。 ・「払拳棒喝」の「喝」は臨済義玄禅師が臨終に際して、三聖慧然と問答を交わした時のエピソード

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          『無門関』の趙州従諗禅師と二人の修行僧にみる「命」のエピソード 趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師(778年 – 897年)は中国唐代の僧で、中国禅宗における巨人です。 「庭前の栢樹子」を例に見ても、その道に通ずる方であれば、この趙州禅師の事を知らないという人はそう多くはないでしょう。 今回はそんな趙州禅師とある二人の修行僧が残した逸話をご紹介して、「生命の実物」とは何なのかを紐解いていきたいと思います。 趙州従諗という禅僧がかつて唐時代の中国にいました。 この

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          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉜頭の中の「払子」は「払子」ではない。「存在」は頭の中だけでは証明できない。

          ブログ新記事投稿しました! 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉜頭の中の「払子」は「払子」ではない。「存在」は頭の中だけでは証明できない。 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 本記事では『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を解説しています。 本記事のポイント ・「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせた

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉜頭の中の「払子」は「払子」ではない。「存在」は頭の中だけでは証明できない。

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉛その日、お釈迦様がお示しになった本当の説法とは?

          ブログ新記事投稿しました。 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉛その日、お釈迦様がお示しになった本当の説法とは? 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分について。 本記事のポイント ・「指竿針鎚」というのは昔おられた仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。 ・「指竿針鎚」の「鎚」はお釈迦様と迦葉仏尊者のエピソードからきて

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉛その日、お釈迦様がお示しになった本当の説法とは?

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!・・はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは?

          ブログ新記事UP! 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!・・はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは? 本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 本記事のポイント ・「指竿針鎚」というのは昔おりました仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。 ・「指竿針鎚」の「竿」は阿難尊者と摩訶迦葉尊

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!・・はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは?

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!」・・「はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは?

          ブログ新記事投稿しました。 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!」・・「はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは? ・「指竿針鎚」というのは昔おりました仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。 ・「指竿針鎚」の「竿」は阿難尊者と摩訶迦葉尊者のエピソードからきている。 ・「おい!」と呼びかけられ「はい!」と返事をする。そこに宿っている「仏法」 ・「うまく返事をしてやろう」などという人間の思惑が一切入り込めない、「生命の実物」 以上が本記事のポイントと

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          「臨済義玄禅師」が出会った真実の仏法とは?師匠の「黄檗禅師」が伝えたかった事。

          ブログ新記事投稿しました。 「臨済義玄禅師」が出会った真実の仏法とは?師匠の「黄檗禅師」が伝えたかった事。 幼いころから実に真面目であったとされる臨済宗の開祖となられた臨済禅師。 修行時代、師匠である「黄檗禅師」に「本当の仏法とは何か?」を尋ねたものの、その「答え」はなくいつも警策でぶち叩かれるだけでした。 果たして「黄檗禅師」は何故何度も臨済禅師を殴ったりしたのか? その真意とは?

          「臨済義玄禅師」が出会った真実の仏法とは?師匠の「黄檗禅師」が伝えたかった事。

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉕「月の光」が輝くのに条件は必要ない。

          ブログ新記事投稿しました! 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉕「月の光」が輝くのに条件は必要ない。 ・本当の理解とは「実践すること」で本当の理解ができる。 ・「坐禅」の「行」を行う事こそが本当の理解。 ・「昏散」とはうつうつと眠くなることと、心を乱す事。 ・「撲落」とは束縛から解放されること ・「真実の自己」は常に目の前に展開しており、条件を満たした結果得られるものではない。

          道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉕「月の光」が輝くのに条件は必要ない。