ライ麦畑でつかまえて
高校生の頃に初めてホールデン・コールフィールドと出会い、彼の旅に同行した。その後も、何度か彼とNYをほっつき歩いて、最近気づいたことがあるのでまとめようと思う。
端的に言えば、ホールデン・コールフィールドは、自分の出自を受け入れることの出来ない青年なのではないだろうか?
すなわちユダヤ人であるということを。実際、ホールデンが嫌うものをあげていくと、ユダヤ人のイメージに結びつく。
①ハリウッド映画
②金儲け
③人生をゲームに例えられること
①のハリウッド映画はアメリカに移民してきたユダヤ人が作った産業であるし、②の金儲けは自身の父親が高給取りの弁護士なことや虚飾に彩られた学校運営にいかりをぶちまける。この金儲けのイメージは長くユダヤ人に持たれていたネガティブなイメージである。また、③においては「勝った方のチームに入れたらいいけど、負けた方に入れられたらどうなる?」という台詞で批判されている。これは、そのままユダヤ教の選民思想に対する批判なのではないか?
作者のJ.D.サリンジャーはアメリカ生まれのユダヤ人であるし、もう一つの代表作である連作の「グラース・サーガ」の作品群も、ユダヤ人一家を主人公にしたものだ。ホールデンは自身をアイルランド系だと称しているが、恐らくユダヤ人の血が入っているのではないか?
そうだとすると、何故、彼は受け入れることが出来ないのか?
「グラース・サーガ」の中で「小舟のほとりで」という小説がある。その中では、まだ幼い男の子が、乳母からユダヤ人差別を受け傷つくという内容であり、このようなことがホールデンにもあったのではないか?
もう一つ重要なことはホールデンが本を読む青年であることだ。ヨーロッパやアメリカの名作と言われる古典文学の中には、差別的なイメージによるユダヤ人が出てくる。例えば「ヴェニスの商人」のシャイロックや「オリバー・ツイスト」のスリの頭目フェイギン、また「罪と罰」の金貸しの老婆など、そういった人物たちが出てくる度に彼は傷つくのではないか? よく「本を読みなさい」と言われるが一部の民族や人種にとっては苦痛を伴うものであったりする。
勿論、彼が青年期の「大人になること」で悩んでいたり、周囲とのコミュニケーションで苦しんでいるのは分かっているが、彼の根底にはこういった出自に対するやるせない、どうしようもない思いがあったのではないか?
おしゃべりな人というのは自分の悲しみや苦悩を相手に悟らせないために、喋り続けることがある。「ライ麦畑でつかまえて」はこういった「信用ならない語り手」の物語なのではないか?
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