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座禅で気づいたこと

 昨年からのコロナの影響もあり、自分自身、本当に「整える」ということをとても重要に考えています。
 「整う」というと、最近ブームとなっているサウナも、私の自宅付近には比較的有名なサウナ店がいくつかあるので、結構な頻度で通ってはいるのですが、同時に以前より一度は挑戦してみたかったことの一つとして「座禅」というものに関心がありました。
 この度のコロナの影響もあり、旅行やあらゆる体験型コンテンツがオンライン化されている風潮に乗り、私も数ヶ月前からオンライン座禅に参加するようになりました。
 
そんな座禅なのですが、結構奥深いというか、難しいのです。
 私の参加している座禅会は、大体1回あたり15分程度の座禅を行うのですが、仕事などで身体の疲れが溜まっている時などは、15分も集中が続かなくて、背筋を伸ばしたり足を組むのが苦痛になってきて全然整いません。
 一方でちゃんと集中できた時は、そのような身体的苦痛は全然気にならないくらいゾーンに入ることができ、文字通り無心になれてとてもスッキリすることができます。
 今日の夜も座禅会に参加したのですが、実のところ、昼間のテレワークでは注意力が散漫になってあまり仕事が捗らず、心身ともに疲れていた状態だったので「今日の座禅は苦痛だろうな」と半分億劫な気持ちだったのですが、ところが終わってみると今までにないくらいの整いが得られたので、noteに綴ってみることにしました。

 今日の座禅でこれまでと変わったところというと、これまでは自分の中で座禅に集中するためには、できるだけ何かに心を囚われないように、自然に身を任すような意識でいました。それはそれで間違ってはいないと私は思うのですが、今日は座禅前から集中できなさそうな感じがあったので、敢えて姿勢を正すことに「意識して」挑んでみました。
 そうしたら意外と座禅中ずっと集中することができ、心が外にとらわれることなく、無心に近い状態に持っていくことができ、終わった時に非常に整った感触が得られました。身体の苦痛もこれまでにないくらい全然気にならず、とてもスッキリしました。
 やはり座禅をする上での姿勢を正すことの大切さが身に染みました。

 さらに、座禅の途中で和尚様が法話を説いてくださるのですが、今日の法話が私の中で新たな気づきとなり、自分をアップデートすることができました。
 法話の内容について、詳細は割愛しますが、端的に私の解釈を述べますと、「自分が「こうしたい」と思うことに本気になって取り組む時(ある意味で、これができなかったら自分は死ぬというような境地にあるような、それ程の強い気持ちを持った時)、理屈ではなく自分の意思が周りの人に伝わるのだということでした。
 自分の思いを周りの人に伝える時、合理性や理屈の整理によって説明をしてきたと思います。その際、自分の本当の思いとは別に、周りの風潮や忖度、「こうあるべき」だというようないわゆる社会常識などを無意識のうちに盛り込んでしまって、本当の自分の意思を隠してしまっているのではないかと気づきました。これらを、本連載では、ホントウノカタチを見えにくくする「虚構」と表現していますが、本当に自分が本気になって意思を伝えようとする時、あるいは、本気になって何かに取り組むとき、そのような虚構はどうでも良くなる程、つまりは理屈や合理性なんかはどうでもよく思えるほど、自分の考えに集中できて、ある意味自分の中で考えが整理された状態になるのだと思いました。
 
 これは本当に私の中でのアップデートで、どこかで本当の自分を出すことをセーブしている自分がいるなと気づきました。それが、ホントウノカタチを知ることの妨げになっていたことは容易に想像できます。今後は、自分の直感で思ったことや感じたことに自信と情熱を持って取り組んでいこうと思います。
 共感いただける方がいましたら幸いです。
 本日はこんなところでまとめたいと思います。引き続き、よろしくお願いします。

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