1本の街灯
部屋の窓から見える1本の街灯に、大きな蜘蛛の巣が張ってあった。
それはとても大きな蜘蛛の巣だった。
私の家は田舎にあり、マイルームの窓の外には隣のカー用品店と、雑草まみれの跡地と、申し訳程度のアスファルトが見えている。
そのアスファルトの脇にポツンと1つ、街灯が立っている。
街灯はいつも白く光っていて、大量の草とツルに巻き付かれている。
夜になり、カー用品店の明かりが消えると本当に真っ暗で、ただ見える光景は街灯の灯りと随分先の小さな信号機だけになる。
その時は意外とすぐにやってきて、午後8時過ぎにはもうその光景になるのだが、私はいつも街灯の灯りが見えた時に、1日の終わりを感じるのだ。
私が小さい頃は8時になったら寝るのが習慣だったが、大人になってからの8時なんてまだ夕方みたいなもので、まだまだ眠りにつくような時間帯じゃない。
ただ、その頃からの名残なのか、街灯の灯りのせいなのか、私はいつも8時になると、今日あった良いこと悪いこと全部、振り返りを始めてしまうのである。
まぁ、たまには、なんだか複雑な感情を咀嚼できない日もあるわけで、そんな日はいつも決まって8時ごろに外へ散歩に出かける。
この間も、外へと飛び出てみた。
最近の夜は涼しい風が吹いている。
夏なんてあっという間に過ぎて、なんならもう冬がやってきている。
つい最近まで暑い暑いと騒いでいたのに、気づいたら今や暖房のついた部屋にこもってこの文を書いている。
秋なんて本当に一瞬で過ぎてしまう。
唯一秋を感じられるのは、紅葉だけだ。
私が住んでいるところは四方を草木に囲まれているため、秋になったときに急に全てが赤や橙に染まる。
その光景は圧巻である。
ただ、そんな紅葉も夜になってしまえば全て同じで、黒色にしか見えなくなってしまう。
秋は日の入り時間がとても早く、8時にはもうすっかり真っ暗になっているのである。
ふと何かを思って外へぶらぶらしようとした時には、間隔の広い街灯の照らすアスファルトを歩き、白い地面を何か余計なものを踏まないように歩いている。
でも、夜になってしまえば、街灯よりも紅葉よりも、もっと高いところには星空が広がっているのだ。
秋の星空はやっぱり素晴らしく、見上げる時にはいつも口が大きく開いてしまう。
やり場のない気持ちも、居た堪れないこの感情も、全てを吸い取ってくれるのだ。
気持ちが落ち着いた私は散歩を引き返し、家へと向かった。
そこに見えたのが、街灯に張られた大きな蜘蛛の巣だった。
私の部屋の窓から見えていたその蜘蛛の巣は、部屋から見ていたよりもかなり大きく見え、何重もの層でできていた。
そこにその巣の主がどこにいたかまでは確認できなかったが、それにしてもかなりの傑作だ。
長年の経験だったり、相当な自信がないと作れない力作だろう。
まさに匠である。
一度この巣を作った主を伺ってみたいと思ったが、流石に向こうからしたら意味も分からないだろうし、こちらも身体が少し冷えてきたので今日は帰ることにした。
蜘蛛の巣づくりは、どれくらいの時間をかけて行われるのだろうか。
何人くらいで、どのような設計図で、ディテールにもこだわっているのだろうか。
そんな風に想像する私は、考えすぎなのだろうか。
ただ、間違いなく言えるのは、彼らは生きるために必死であるということだ。
そんな立派な巣を作る必要が彼らにはあり、ある目標を達成するために形成されていった代物なのだ。
思えば最近の私は、自分のことで精一杯で、周りのことなど考えられていないことが沢山あった。
身体も壊しがちで、メンタルも実はやられていたのだと思う。
ただ、あの蜘蛛たちと同じように、必死で生きようとしていたことも事実なのである。
まだ、今の自分が蜘蛛の巣のような、何かカタチに残せるような成果を出せた訳じゃないけれど、知らないうちに生き続けようとしていたこの事実は、忘れないでおこう。
少しだけ蜘蛛から勇気をもらった、とても奇妙な出来事だった。
次の日、雨が降った。
結構な横殴りの雨で、勢いも強かった。
さらにその次の日、窓の外には蜘蛛の巣は無くなっていた。
彼らの努力は、雨に流されてしまった。
彼らは今、悲しんでいるかもしれない。
自然の摂理に、絶望しているかもしれない。
それか、もしかしたら、しょうがないことだと笑っているかもしれない。
そんな風に想像する私は、きっと、考えすぎなのだろう。
あなたのサポートのおかげで人生頑張れますっ 宜しく頼んますっ