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百鬼夜行 vol.12 開催レポート
- はじめに.
2023年11月25日(土)、『百鬼夜行 vol.12』を開催しました。参加者並びにスポンサーの皆さま、いつも本当にありがとうございます。
年内最後となる旅の舞台は、高野山。かの有名な空海(弘法大師)により開山された、和歌山県の北部に位置する真言密教の聖地です。
これまでのは百鬼夜行では、神社を中心にめぐってきました。今回は少し趣を変えて、神道と同様古くから私たち日本人の生活に根付き、大きな影響を与えてきた仏教に焦点を当て思考をめぐらせてみたい!ということで、誰もが一度は聞いたことがあるであろう、高野山を訪れることに。
◉ そもそも仏教とは?
ここで、「仏教」そして空海が追い求めた「密教」とは何なのかについて、少しだけ記したいと思います。
仏教は、今から2,500年ほど昔、インドで釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が悟りを開かれたことを出発点とした「釈迦の教え」のこと。キリスト教やイスラム教と並んで世界三大宗教に数えられています。
よく耳にする「仏陀(ブッダ)」とは、釈迦一人を指すはなく、「目覚めた人、悟りを開いた人」を意味する言葉です。仏教では、心の豊かさや心の悩みや苦しみをどうなくすか、どうやって完全な人格を作るかといった「悟り」の方法を問いています。宗教でありながら「哲学や人間学だ」と表現されることも多々あります。
インドで生まれた仏教は、やがて中央アジアを通って、中国、モンゴルなどに伝わり(北伝仏教)、その後朝鮮半島を経由して6世紀頃日本に伝来したとされています。また、インドからセイロン(現スリランカ)を経由した仏教は、11世紀にはビルマ(現ミヤンマー)やタイへと伝わりました(南伝仏教)。
このように仏教は世界各地へ広がりますが、空海によって開かれた「真言宗」は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」に分類されます。
◉ 「密教」と真言宗
真言宗は、空海が平安初期に大成した真言密教の教えを教義とした宗派です。真言密教の「真言」とは、仏の真実の「ことば」を意味しています。そしてこの「ことば」は、人間の言語活動では表現できない、この世界や様々な事象の深い意味、すなわち隠された秘密の意味を明らかにしているといいます。
空海は、「この隠された深い意味こそ真実の意味であり、それを知ることのできる教えこそが『密教』である」と述べています。つまり密教とは、その名の通り「秘密の教え」を意味しているのです。
- 百鬼夜行 vol.12 備忘録
◉ 旅のしおりはこちら
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◉ まずは奈良で美味しい寄り道
この日は早朝6時半に名古屋を出発。車で2時間半ほどいった道中、奈良・橿原で休憩をすることに。参加者のお気に入りのおだんご屋さんがあるということで、立ち寄りました。
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創業は明治11年。以来、ずっと変わらずすべての工程が手作りなのだそう。煎りたてのきな粉の香りと、ふんわりもちもちとした食感のおだんごは、何本でも食べられてしまいそうな美味しさでした!
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◉ 高野山 奥之院
橿原を出発し、1時間半ほどで高野山に到着。まずは、奥之院を目指します。
奥之院は高野山の信仰の中心であり、今からおよそ1,200年前、空海が入定(心を統一集中させて無我の境地にはいること、そして高僧の死を意味する)したとされる聖地です。
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一の橋から御廟まで約2kmの道のりには、おおよそ20万基を超える墓石や祈念碑、慰霊碑の数々が、樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並び、まさに聖域と呼ぶのふさわしい雰囲気に満ちています。
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「遣唐使」として唐の長安に派遣され密教を学んだ空海は、帰国後、嵯峨天皇よりこの地を賜り高野山を開山します。真言密教の根本道場として、衆生救済のために約20年もの間、全国に教法を伝え続けました。
そして、自らの死期を感じた空海は、この地で禅定(永遠の瞑想)に入ったといいます。高野山にこもって4年目の3月15日、弟子たちを集め「自分は21日に永遠の禅定に入り、弥勒菩薩のもとで皆を見守る」と告げ、予言通り入定したと伝えられています。
即身成仏(人間が究極の悟りを開き、肉身のまま仏となること)を遂げた空海は、奥之院で今もなお生き続け、衆生救済ために祈り続けているとされており、1日2回「生身供(しょうじんぐ)」と呼ばれる食事が捧げられています。
そんな奥之院には、名だたる武将たちの墓や供養塔が立ち並んでいます。
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他にも、明智光秀や石田三成など、たくさんの武将の墓を見ることができます。高野山を焼き討ちしようとした織田信長をはじめ、あれほど激しく戦を繰り広げた武将たちが、死後仲良く高野山奥之院に並んでいるというのは、なんだかほっこりします。
◉ 高野山真言宗 総本山金剛峯寺
奥之院参拝のあとは、2kmほど離れた場所にある金剛峯寺を訪れました。
ちなみに、「総本山金剛峯寺」という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指しているそう。通常お寺といえば一つの建造物を思い浮かべますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのだといいます。
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金剛峯寺の中は拝観が可能です。撮影はできなかったのですが、広間をはじめとするたくさんの間には、歴史ある襖絵が数多く残されています。
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特に、江戸期以降、実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた台所は、柱や梁も煤で真っ黒になっていて、歴史の深さを感じる場所。大きなかまどは、現在でも使われているそう。その昔は、大きな釜で一度に2,000人分ものご飯を炊いたのだとか。
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敵も味方も異宗派も。すべての人を大らかに受け入れる真言密教の思想と、空海への信仰がいまも静かに息づく高野山をめぐる旅。これにて今回の百鬼夜行は終了です。
- おわりに.
今回の百鬼夜行で、今年の旅は最後となりました。12月の百鬼夜行は、これまでお世話になった方々と一緒に大忘年会を開催予定です!
そして来年は、「日本のお祭り」をテーマに百鬼夜行を開催したいと考えています!これまで訪れていない東北や四国などもめぐりたいなと思案しています。
また、新たな挑戦として「和菓子プロジェクト」も始動しています!随時進捗を共有していきたいと考えていますので、これからもぜひ動向をチェックいただけると嬉しいです。