生きてるだけで偉い問題について

 「生きてるだけで偉い」という言葉について、かなりブログの記事を費やしてきた。多分「生産性のない障害者でも生きていていいのか?」という自分の問題と関わっているからだと思う。

 アドラーの本を読んでいたのだが「偉い」はダメだと書いてあった。「俺が」判断することになるから。僕は以前、生きてるだけで偉い問題について、仏教の視点からの記事を書いたが「生きてるだけで偉い」というのはそもそも「神仏」にしか許されていない言葉のような気もする。

僕「僕、無職なんですよね」
誰か「そっか、でも生きてるだけで偉いよ」

 偉いってなんだよ!偉い、偉くないをお前が決めるなよ。これは「縦の関係」、つまり競争関係になってしまうらしい。

 だから、偉いではなくて「嬉しい」「ありがとう」という言葉を使う方が良いらしい。これはジャッジではなくて、自分の気持ちだから。

僕「僕、無職なんですよね」
誰か「そっか、でも僕は君が生きてるだけで嬉しいよ」

 絶対こっちの方がいい。元気が出る。言われた方も嬉しくなる。

 「生きているだけで偉い」という言葉は、ジャッジの言葉であって、みだりに使うべきでない気がする。「生きてるだけで嬉しい」の方が、当事者性があるし、情感がこもっている。僕もこれからは、生きていてくれてありがとう、嬉しい、と言うようにしよう。嬉しいと、みんな嬉しくなる。

勉強したいのでお願いします