完璧主義のめんどくさがり
私は最近、自分が完璧主義だということに気がついた。よく、性格診断などをすると「完璧主義」という結果が出ていたのだが、ずっと
「そんなわけない。
だって私、めんどくさがりやもん」
と思っていた。
そして気が付いた。私は完璧主義のめんどくさがりである、と。
学生時代、課題の提出が毎回ギリギリだったこと、テスト勉強を一夜漬けでこなしていたことを思えば納得だった。
毎回そんなギリギリで課題をこなせていたのには理由があった。
①私は土壇場でゾーンに入りやすいのか、集中力が鬼のように高くなるため、いざ始めたら完成まで休憩なしに突っ走れてしまう。
(思えば、電車に間に合わない!急げ!という状況だと、信じられないぐらい早く走れるため、電車を逃したことがないのだ)
②短期記憶が良い方であるため、一夜漬けした内容は大抵覚えている。
(元々人との会話内容などもかなり覚えているタイプで、一度観た映画のセリフや歌詞など覚えるのも得意だったりする)
この①②から、課題やテストの結果がそれなりに良かったりもした。
すると周りからこういう評価を得た。
「ド短期集中型」
「やればできる子」
とはいえ急いでこなすため、細かいところで誤字脱字やミスが出てくる。
それでも言い訳ができるのだ。
「朝方にマッハ2時間で作った割にはよく出来てる」
「前の日に詰め込んだだけで、ここまで頭に入っているのすごい」
これは同様に、たまに評価がよくなかった際にも使えるのだ。
「まあ、前日から勉強始めたもんな。本気で前からやっとけば、もっとできただろう」
そう、この「ギリギリでこなした」ということは、あらゆる免罪符になるのだ。
これがどうもうまく行ってしまった過去があるため、大学4年間、私はずっとこのスタイルで過ごしていた。
卒論ですら、2週間前ぐらいから超特急で作って提出した。
こういうことがあったために、「課題とかめんどくさい〜私めんどくさがりやねん〜」という自認が出来上がったのだろう。
この時の自分の心理を振り返ってみたら、ある事実が判明したのだ。
私は、課題が出た時点では、
「今回こそは、とっておきのレポートを完成させてやる」
「テストで満点取ってやる」
という高い理想を心の中で掲げていた。
例えば、
「今度はギリギリじゃなくて、試験の2週間前から準備を始めよう」
「この題材になっている本は2周読もう。そうすれば、より作品への理解が深まるはず」
「試験範囲を全て覚えるために、教科書に出てくる語句を改めて振り返ろう。」
と言った、「一番理想的な計画図」が頭の中で作成される。
よし、このルートで行こう!と心の中で気合いだけを入れて、いざ2週間前なれば、「何だかんだ前日で間に合うのでは?」という考えが出てくるため、結局私は課題に手をつけないのだ。
そして、前日。
「題材になってる本は2周どころか1周もできていないが、先生が話していたこの内容の部分だけ読んで、そこで考察を広げよう」
「教科書に出てくる語句を振り返る時間はないため、先生が授業で口にした単語だけ振り返っておこう」
といった具合に、理想的なプランよりも大分省略された方法で勉強を進めるわけである。
そして、いつも満点は取れないが、何やかんやで良い点数を取れてバンザーイ。
まず、頭の中で作り上げた理想的なプラン。
確かにこれを正しく実行できれば、満点を取れるのかもしれない。
しかし、それは実行することが難しい程に、完璧すぎて大変なのだ。
最初に掲げる理想が高すぎる。
そして、その理想にかかる大変な労力がめんどくさいから、先延ばししてしまう。
それで結局、直前になった慌てて終わらせる。
これこそが、完璧主義のめんどくさがりだ。
この「ギリギリでいつも生きている」スタイルは、会社員1年目で上手くいかない状況にぶち当たり、上司に死ぬほど怒られた経験から、さすがに今ではしなくなった。
学生時代には、仮にギリギリで結果が奮わなかったとしても、自分の成績が悪くなるだけ、という自己責任で完結できた。
しかし、会社員になってからのギリギリでは、他の人に迷惑をかけてしまう恐れがあるのだ。
「今やらないと忘れてしまって、人に迷惑をかけてしまう」という思いが強くなったことから、やらないといけないことは、大抵その時にさっさと済ませられるようにはなってきた。
それでも、私の根本の完璧主義のめんどくさがりは、未だに治っていない。
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