蜘蛛と琥珀
蜘蛛は琥珀を恐れていた。何故ならかつて、その夕焼け色の牢獄に、自分と同じ姿の蜘蛛が閉じ込められているのを見た事があるからだ。
彼は食う者であったが、食われる者であった試しはなく、また捕われたことも無かった為、それがとても恐ろしかったのだ。
蜘蛛は琥珀色の夕焼けを恐れた。どうして陽が琥珀色になるかをその蜘蛛は知らなかったが、兎も角、朝と夜の境目のほんの短い時間だけ世界が琥珀色になる事を知っていたから、その時間だけは巣に引きこもる事にしていた。
ただ、過去に一度だけ、蜘蛛は自分の巣に帰るのが遅くなってしまった事があった。食料も底をつきかけ、獲物を仕留める為には仕方なかった。
仕留めた蝶の美しい翅を糸に包み終えると、蜘蛛はそれを引きずり、巣への帰路を駆けた。
この夕陽が沈む前に帰らなければならない。
蜘蛛は走った。蜘蛛が纏う時間は命が尽きる前の走馬灯のように細かく刻まれ、時間の欠片の一つ一つが蜘蛛の身体を蝕んでいく。時の鎖が蜘蛛の身体に纏わりついて、蜘蛛の動きを鈍らせていく。だんだんと橙を増していく世界が後ろから蜘蛛を捕えようと追いかけてくる。
『焦り』。それでも蜘蛛は駆けた。この瞬間の蜘蛛に捕食者の風格など微塵も存在しなかった。ただ惨めに逃げるだけのか弱い存在であった。
陽の一部が水平線にほんの少し削り取られた時、蜘蛛は死を覚悟した。
この一瞬が切り取られてしまう。もしあの夕陽が沈んでしまったら、蜘蛛自身の身体が夕陽の世界に取り残され、切り取られ、かつて見た琥珀の中の蜘蛛のようになってしまう。
蜘蛛は恐怖に駆られた。それでも蜘蛛は走った。「まだ間に合う。」巣への距離はそう遠くない、世界が燃える牢獄に閉じ込められる前に、巣の影に逃げなければならない。
すんでのところで蜘蛛は、命からがら自分の巣に逃げ込んだ。瞬く間に世界が陽の牢に閉じ込められた。脚はカグガクと震え、鼓動はより激しく細やかに脈打つ。駆けながら引きずってきた獲物には傷が付いていた。
そのような醜態を晒しながら蜘蛛は、自身が生きているという事実に深く安堵し、眠るように影に溶けていった。
陽の牢獄としての琥珀は、今も小さき命を喰らっては、その美しさの中に閉じ込め続けているのだ。