番外編③地域ブランディング成功事例 生まれ変わった芸術の島「直島」〜瀬戸内ブランディング〜
ZeBrandでは、全ての人がブランディングを身近に感じられ、自分らしさを自由に表現し、お互いを認め合える世界を作ることを目指しています。これまで、成功企業のブランディング事例についていくつか取り扱ってきましたが、ブランディングが力を発揮する場所は、企業だけにとどまりません。
「地域ブランディング」「まちづくり」といった言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか?昨今では一昔前より「地域」のブランド化が進んでいます。例えば、愛知県今治市といえば「今治タオル」、熊本県といえば「くまモン」、多くの人にその地域を連想させるものがあるということは、地域ブランディングが成功していると言えるのではないでしょうか。
一方で、すべてのプロジェクトがうまくいっているわけではなく、様々な失敗談があるのも事実です。本記事では、地域ブランディングの成功事例をご紹介していき、その成功の所以を探っていきたいと思います。
今回は、アートの島として人気の観光地になった直島の事例に着目していきます。
直島とは
直島は、香川県の北側に位置し、瀬戸内海上に浮かぶ直島を中心とした直島諸島の島々で構成されています。主となる島の面積は8㎢jほどで、人口は3000人ほどの小さな島です。高松港からフェリーで約1時間、高速船で約30分ほどでアクセスでき、世界中から注目を集めるアートな島として観光客から人気を集めています。小さな島にそのまま、展示されている有名な草間彌生さんの作品「南瓜」について一度は聞いたことはあるのではないでしょうか?
ブランディング前の直島
直島はアートの島として注目を浴び、観光客がたくさん訪れる様になりました。一方で、それまでは直島製錬所における工業を中心に、漁業や(海苔とハマチの)養殖業、製塩業に従事する人がほとんどで、島内は深刻な高齢化とともに、工業による環境汚染などが問題となるような負の側面も持ち合わせる島でした。
直島のブランディング
直島の観光人口について着目すると1992年時点では3万人だったのに対し、2013年にはその22倍に当たる66万人を呼び集めることに成功しました。2000年代始めに、瀬戸内海へのイメージを調査した際には、「よくわからない」と回答する人が多かったものの、現在の瀬戸内には「アートのイメージやサイクリングのイメージなどがある」と答えられるようになり、ブランディングによって人気を獲得した地域と言って間違いないでしょう。
直島のDefine
直島がアートの町になるきっかけは、ベネッセの創業者である、福武哲彦氏とその息子總一氏の想いがありました。創業者の哲彦氏は「瀬戸内海の島に世界中の子供たちが集える場を作りたい」と願っていたそうです。しかし、哲彦氏は、40歳で亡くなってしまい、總一氏はその影響で東京勤務から本社のある岡山で勤務することになりました。父の思いを引き継ぎ、直島で子どもたちのキャンプ場作りのプロジェクトに関わったり、また趣味のクルージングで瀬戸内海の島々をめぐるようになりました。その中で、總一氏は瀬戸内の素晴らしさや、文化、歴史、島々に暮らす人々のあり方を再認識するようになったそうです。そして、大都会の現状と、瀬戸内の人々の暮らし方を比較すると、近代化のベースとなっている考えかたである、「破壊と創造」の文明、つまり「在るものを壊し、新しいものを作り続け、肥大化していく文明」のあり方に深い疑念を覚えたそうです。そうした、「破壊と創造を繰り返す文明」から、「在るものを活かし、無いものを創っていく」という、「持続し成長していく文明」に転換していかなければいけないと思ったそうです。そこで、まだ近代化に汚染されていない、自然が残る瀬戸内の島で現代社会を批判するメッセージ性を持った、魅力的な美術館を建ててみることにしたそうです。
直島のDesign
總一氏の想いをもとに作られたのが、ベネッセハウスミュージアムになります。ベネッセハウスは美術館とホテルが一体になっており、世界的にもユニークなものでした。そして、ベネッセハウスの屋内外のアート作品だけでなく、本村というエリアの中で展開する「家プロジェクト」がスタートし、2004年には、地中美術館もオープンしました。そして、こうした展開は、直島から、犬島・豊島に広がり、2008年には犬島では「犬島精錬所美術館」が、2010年には豊島で「豊島美術館」がオープンし、以降、直島だけでなく、犬島・豊島にも施設が増えていきました。さらに、2010年からは、これら3つの島をはじめ、備讃瀬戸の島々が「瀬戸内国際芸術祭」の会場にもなっていきました。
珍しい野外アート
現代アートがこれだけの規模で、美術館やホテル建築と一体になって海を望む景色の中で展開するプロジェクトはほとんどない中で、直島の取り組みは新しいものでした。
有名な黄色い「南瓜」は、もともと、1994年にベネッセハウスで開催された「Open Air‘94 Out of Bounds―海景の中の現代美術」展で設置されたもので、豊かな自然の中で現代アートを見せるという本展の流れを受けて、「自然とアートと建築の融合」という直島の大きなテーマの一つが確立されていきました。1998年から直島の本村エリアのなかで展開する「家プロジェクト」は、アーティストが使われなくなった家屋などをアート作品として再生させるもので、地域の文化や歴史を掘り起こしていくような方向性を重視しています。そうした方向性におけるプロジェクトを通して、「時間」に対する問いや、「自然と人間の関係」、「生と死」といったテーマや、「時代に対するメッセージ性」などが明確化されていったように思います。
直島の「護王神社」を再建した杉本博司さんは、壮大な時間軸のもと、時間に対する問いを追究し続けています。
また、直島銭湯「I♥︎湯」(世界的にも珍しい入浴できる美術作品)を手がけた大竹伸朗さんは、文明や時代の流れの中で機能を失っていく様々なものを使った作品を生み出しています。
直島の変化に合わせた動き
直島が現代アートの島として、変化していく中で、ベネッセハウスや家プロジェクトを推進させる企業に対して行政やNPO、住民がどの様な動きを見せたのでしょうか。ベネッセに対して、行政は後方支援的な立場をとっていました。島民が「観光・交流のまち」というよりも「医療・福祉のまち」「交通の便がいいまち」を望んでいるということを踏まえて、住民の想いに基づいた新しいコンセプトを作って住民の望むまちづくりをしていきました。住民の希望に寄り添いながら、町自体の改革に協力することで、大きな反発を防ぐことができました。また、地域おこしに関しては、地域おこし協力隊が「直島カラーズ」という移住支援サイトを作り、移住希望者が不動産を探すハードルを下げる試みがなされました。直島には元々、住めるエリアが狭い上に、空き家や土地の売買を言い値で行ってきた習慣があったため、なかなか新しい住民を受け入れる体制が整っていなかったことに着目し、「空き家バンク」をサイトの中に導入しました。それによって、直島の地価は上昇傾向にあり、空き家が出るとすぐに入居者が決まるようになっています。Uターン・島外出身者の新規開業も相次ぎ、50店舗近くの宿泊施設が住民によってたてられました。アート活動に参加することや、芸術祭のボランティアなどから新しいコミュニティ(こえび隊など)が作られたようで、住民同士の交流も増えたと言われています。
現在の直島
直島は、現ベネッセホールディングスが直島文化村構想をスタートさせてから、ベネッセハウスや家プロジェクト、地中海美術館などの開館とともに、現代アートの島として全国に知られるようになりました。大きな美術施設だけでなく、街中にもたくさんのアートが隠されていて、訪れる人を魅了します。海外旅行誌などで高い評価を受けていることから、観光客の4割が外国人という特殊な側面も持ちながら、観光客の数を伸ばし続けています。一度は、過疎地域として落ちぶれてしまった経験を持ちながら、直島という土地ならではのものを生かして、再生した直島には一度訪れる価値があるのではないでしょうか。
瀬戸内海の地域ブランディング
2010年代初頭の頃のアンケートでは、『瀬戸内』に対するイメージはほとんどが「よくわからない」という回答だったのにも関わらず、現在の瀬戸内には「アート、サイクリング、小さな島々、のどかな海景色」といった印象を持たれています。その裏には、瀬戸内全体での一体となったブランディングがありました。もちろん、本記事で紹介した直島の取り組みもその一つで、最初は直島という島だけに現代アート作品が展示されていただけでしたが、瀬戸内国際芸術祭という祭典を開き、瀬戸内全体で芸術祭ごとに新しい作品が増えていくようになったことで、瀬戸内全体を巻き込んで「アート」に力を入れる地域としてのイメージを確立しました。
また、瀬戸内のしまなみ海道を想像すると「サイクリング」と連想されるのではないでしょうか。しまなみ海道はサイクリストの聖地とも呼ばれ、国内外のサイクリストが人生で一度は訪れたい場所となっています。
さらに、アートやサイクリングといった体験コンテンツが生まれていく中で、瀬戸内に面する7つの県が一丸になって瀬戸内を1つのブランドとして盛り上げようという動きが始まりました。2013年には、瀬戸内ブランド推進連合という組織が誕生し、統一化されたコンセプトの元、レモンをはじめとする瀬戸内ブランド商品が生まれていきました。また、それまではばらばらであった情報発信活動も統合することによって、瀬戸内のイメージを一貫して内外に広げていくことに成功しました。観光事業を支援する融資制度を含む「せとうちDMO」が設立されると、さらに新たな体験コンテンツを生み出していく源となりました。
このようにして、元々は過疎化が進む島々を要する沿岸地方だった瀬戸内は『The New York Times』が発表した「52 Places to Go in 2019」で、世界で行くべき場所として日本で唯一、7位に選ばれるまでになりました。瀬戸内はプレースブランディングを日本で成功させた実例として取り上げるべきエリアと言えるでしょう。
まとめ
本記事ではアートの島として近年人気を誇る直島に着目し、直島がアートの島として確立したきっかけやその後の地域の人々の動き方、どのようなプロセスをたどってきたのかについてみていきました。また、アートの島「直島」が確立してから他の地域にもたらされた影響についても知ることで、地域ブランディングのもたらす可能性について見ることが出来たのではないでしょうか。直島の地域ブランディングには、ベネッセという一企業のキャンペーンだけではなく、そこにかかわる自治体の動き、そこにいる人々の動き、またそれらによって動いた人々の動きすべてが重なり合っているということが本記事のポイントです。是非、本記事で得たものをご自身のブランディングにも生かしていただければ幸いです。
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