「袖触れ合うも多生の縁」
まるで冬眠から目がさめたコグマのように、最近ゆるやかに活動を始めていて、有り難いことにいろいろな出会いが生まれている。
出会いは不思議だ。
人生で一番好きな言葉は?
と聞かれたら、僕はダントツでこの言葉を挙げたいと思う。
「袖触れ合うも多生の縁」
この言葉には、ものすごい深い仏教の思想が背景にあって、
仏教において運命は、"運命論"ではなくて、"因果論"で語られている。
すべての結果には必ず原因があり、原因があって結果が生まれてくるという基本思想を根幹として
この人生だけでは説明できない現象については、生まれる前に原因がある、と因果論が徹底されている。
初めて会ったのに、なんか分からないけど気が合う人とか、たまたま旅先で出会った人とか、友だちとか恋人とか家族とか、
世の中にたくさんの不思議な出会いや巡り合わせがあるけれど、たとえ隣の席に座る赤の他人でさえ、生まれる前のずっと昔からの関わりがあった人ですよ、
というのが、「袖触れ合うも多生の縁」の意味である。
「多生」とは、私たちは人間(あるいは他の生き物?)を生まれたり死んだり、ということを無限に繰り返しているという意味で、
この人生で出会えた人は、久しぶりの再会ということになる。
自分と気が合う人というのは、無意識で懐かしさを感じているということだし、
地球上70億人の中で、わざわざケンカをする人も実は過去の友だちなのかもしれない。
そのように考えると、
今出会っている人とは自分と過去にどのような関係にあったのだろうかと不思議でしみじみとした気持ちになるし、
自分と気が合わない人は過去の親友や好敵手だったかもしれないなぁと、それはそれで寛容な気持ちになってくる。
「袖触れ合うも多生の縁」
本当に好きな言葉だ。