人生が180°変わるとき、そして希望
僕は10代の頃、箸にも棒にもかからない、どうしようもない人間だった。
世界中のあらゆる不安と敵意をかき集めたような、そんな屈折した気持ちを抱えていたし、控えめに言って早く人生を終えたかった。
木製の机はカッターナイフで切り刻まれ、部屋の壁には穴が空いていた。
自分を変えたいと常に思っていたし、人生を変えたいと常に願っていた。
そんな自分が180°変わったのは大学だった。
きっかけは、仏教の「縁起説」に出会ったことだった。
縁起とは、すべての結果には原因があり、すべてのことは「関わり」によって生まれていく、というお釈迦様の教えである。
自分が今生きているのは、両親や祖父母をはじめとして、多くの人たちに支えられてきたからであり、地球の、世界のすべてに関わり関わられてきた結果なのだ。
この縁起説は、シンプルであるけれども、「希望」でもある。
すべての結果が原因によって作られるということは、裏を返すと、"人生はまだ決まっていない"ということを意味している。
どのように人と関わり、どのような風物と関わっていくかで人は何者にも変わっていくのだ。
僕はそれからというもの、「関わり」を心の宝物にした。
素晴らしい人たちと関わっていく決意をし、行動した。
そしたら、世界には、素晴らしい人たちに溢れていた。
一生懸命、愚直に努力をしている人。人の幸せを常に考えている人。世界を変えようと知恵を生み出している人。
そのような人たちに、出会うことによって、自分の人生は180度変わったし、幾分か、まともな人間になったのだと思う(と信じている)。
だから、人生が180°変わるとき、そこには「関わり」が仲立ちする。
人が変わるのに時間は要らない。出会うべき人に出会ったとき、人は一瞬で変わるのだ。
素晴らしい人に関わっていけば、素晴らしい人へと近づいていける。
これからの人生も(人生は有限なのだから)、できるだけ素晴らしい人と関わっていきたいと思う。
「縁」は財産であり、希望なのだ。