表現するということ
とある友人に感化されて始めてみた
せっかく始めたので何か書こうと思ったが、思いつかない
考えてみれば、Twitterで日々のどうでもいい出来事は呟いても、こうしたエッセイのようなものは久しく書いていない
実は「自由な文章を書く」こと自体の経験はある
高校生のころ、ファンタジーじみた小説もどきやエッセイもどきを、黄緑色のキャンパスノートに書き溜めていた
いつからだろう、自由な文章を書くことが、それを人に見せることができなくなったのは
大学に入った頃だろうか
親に見つかることを恐れて東京に一緒に持ってきたキャンパスノート
1年の夏に久しぶりに読み返して、いかに自分の思想も嗜好も空想もダダ漏れているか感じ取ってしまったからだと思っている
溜まりに溜まったノート6冊目の最後は大学1年の冬、上京して初めて雪が降るところを見たときのエッセイもどきだが、それも途中で書くことを諦めてしまっていた
ノートの中には頭抱えたくなるものとか、絶対人に見せられない黒歴史じみたものはわさわさあるが、それでもいくつかは気に入るものがあった
あったはずだが、それすら人に見せられない
だから、そのとある友人や、私の周りにいる表現者(役者、ピアノ弾き、絵描き、諸々)たちは、ほんとうにすごい
今の私に「思想」「思考」を披露することができても
「空想」「嗜好」を表現することに躊躇ってしまう
実につまらない人間になったものだ
noteには、たくさんの表現者たちがいる
彼らに感化されて、また私も表現できるようになるだろうか
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さて、読み返してもなんだかぎこちない文章だなぁと思う
リハビリを始めたばかりの人みたいな
頑張ってちょっといい感じの文章書いてやろうという魂胆すら透けて見える、痛々しい
だがまぁこんなもんなんだろうな
誰か気が向いたら添削でもしてくれ
私も気が向いたら、まただらだら書くかもしれない