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マジ!なんで私だけ不幸なのよ!

2008年に書いてたまさに自分へのデスノート( ノД`)


16年前の私は
こんなことを言っていました。当時の日記の抜粋です。

”もう疲れた・・・
味方んなて誰もいない。いつも独りになる。
穏やかで安心できる生活をずーっとしたかった。
(中略)
愛されて大切にされている実感のある生活がしたい。
言葉がほしい。本当に疲れた。
(中略)
どっかに消えてなくなってしまえば楽なのかな?
・・・・

こんな事をずっと考えていた私。
誰かにすがり生きていたくて、誰かが助けてくれると信じていた?ような・・気持ちはいつもスレスレでした。
ただ誰かに依存する形で、自分の価値を見出していたんだよね。

>>>>>>私は、日記を書くを20年(10年日記2冊目)それを最近ではfacebook投稿で「ざわのざわつくざわ活日記」を現在時点で1743日(2024.7.2)書いてます。書くことで自分の心を可視化して生きてきました。始めた当初は、全く無意識で、イライラの発散でしかなかった。書かないとやってられない!ってそんな思いでしかない。
それが今では・・
自分の願いは自分で叶えちゃう”余白美人”ノートプログラムを主宰してます<<<<<<<<<<<

この日記の存在すら忘れていたんです。
何か、クライアントさんの気持ちが知りたくて、昔の自分って?
「あっ、昔の日記ってどんなこと書いてたっけ?」って思って開いてみた。

私が生きている世界は敵しかいない孤独な世界だと思っていた

当時の私には、全く理解できなかったのは、孤独の世界を自分が作り上げていたことです。
だってそれ以外、考えるすべも知恵もなし!!!!!
原因はすべて生まれた環境で決定していると思っていました。

16歳の時から、人生に抗うように、環境を変えたくて我武者羅に働いたりして一度は手にした私の中の「成功」だったんです。
それが、20代で男性社会で伸し上がってパチンコ店の店長になった時でした。かなりの敵の数に、圧倒されながら生き延びていた時代です。

若々しい20代には思えない・・モニターに囲まれる毎日

"孤独"の世界の原因は「罪悪感」だった

誰もわかってくれない!みんなバカんじゃないかって思って本気で思ってました・・・
どうしてわからないんだろう?って不思議で仕方なかったです。
通じないから、毎日イライラしてたんだよね。。
でも、どうしてこんなに「孤独」だったんだろう?
それは「何者かに」なろうとしていたからです。
今、あの時を考察してみるとわかることがいっぱいです。
仕方ないですね。「孤独」の世界にいたのは。

何者か?とは???

自分のすべてが嫌いだった。そして、無意識の中で「”親”が言う当たり前の人生を歩けていないから、私はダメな子」認定していたんです。
小中学校のお友達は、みんなちゃんと学校に行き、真面目に暮らしている。
反面私は、学校を辞めて遊びや彼氏に依存して、そして、生活のためにバイトでパチンコ店へ入店したんです。そこから、「私だって、見返してやる!」的な発想に火をつけて店長までになるが・・・結局満足していなんです。
それは、自分が自分で自分の事を認めていないからです。
何者かになれば、認めてもらえると思っていた。みんなの常識の世界の「普通」の人生に戻って、肩を並べられると思っていたからです。

その当たり前って「誰の世界」???

結局やれるところまで辿り着いても、何にも満たされませんでした。
ついには、「燃え尽き症候群」パニックまで起こる事態へ、強制終了させられたんです。
「誰かの世界」の当たり前を生きようと、転身した先にもっと辛い毎日が始まりました。
その時書いた日記が、2008年の冒頭のデスノートです。
「誰かの世界」で生きるとは、自分のすべての本音を封印して生きることです。判断基準は、自分以外の人。
ずっと頑張って働き続けたパチンコ店の経験も、その時には、「恥」となり誰にも経歴すら隠す日々になったんです。
自分を恥じて隠す。「罪悪感」と「恥」感情エネルギーでは最も低い状態で
生きていた。

「孤独」の世界の正体は
自分が自分を「恥」て隠したからです。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
次回のテーマは、「罪悪感とお金」の関係についてにします。

これから、「現実」の正体について感情エネルギーの解説を含めて書いていきたいです。自分を知ってあげることで、世界が好転していきます。
自分ファーストの社会を創るために書いていきます。


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