ストーリー・オブ・ファーストキス
「まだ着かないの?海」
こういう時は、大体言い出しっぺが一番最初にボヤき始めるものだ。
街灯が、僕ら4人の歩く影を地面に照らし出している。
「1時間かかるって言ったじゃん」
大学から歩いて1時間で海に行ける。
それを聞いて、最初に行きたいと騒ぎ始めたのは啓介だった。
にも関わらず、こいつは身勝手にも表情を曇らせる。
「財閥の息子だから歩くの苦手なんだよ。ヘリ呼んで、ヘリ」
「お前んち豆腐屋だろ」
悪態を突く啓介に、先頭を歩く潤一がツッこんだ。
こいつの会話における反射神経は見事だ。
「お、見えた」
いつも冷静な藤野が、いち早く海を発見した。
確かに、夜の闇の向こう側にゆらめきが見える気がする。
「海だー!フーーーーー!!」
俄然テンションがあがった啓介が走り出した。
歩くのは苦手でも走るのは得意らしい。
仕方なく、僕らも啓介の後を追った。
「おー!」
テトラポッドを登ると、夜の海が見える。
この辺りの海はそんなに綺麗じゃないけど、夜だと一切気にならない。
僕らは、各々テトラポッドに腰掛けた。
海面が月の光を跳ね返して煌めく様は、息を呑むほどに美しい。
まあ、昼に見ると汚いんだけど。
「いいねえ乙だねえ。酒飲みたくなるねえ」
僕の詩的な気持ちを潤一が上書きした。
こいつは何かあるとすぐ酒の話だ。
「寒い。なんか買ってこれば良かった」
藤野の言葉に僕は心から賛同した。
1月、しかも女の子もいない海なんていくらなんでも寒過ぎる。
「なんかロマンチックでキュンキュンする話聞きてえよ、俺」
啓介が謎のオーダーを出した。
男しかいないのに、それは無理じゃないか。
「このメンツにそれ求めるのキツくない?」
藤野はいつも僕と意見が合う。
「じゃあ、ファーストキスの話しようぜ。
あるだろ、ファーストキスの話」
啓介が楽しそうにはしゃぎはじめた。
こいつはこうなると止まらないのだ。
「男にされたやつとか、そういうのはナシ?」
念のため僕が確認すると、啓介は何言ってんだコイツ?という顔をした。
「あったりまえだろ。ガチガチのやつしか認めないぞ俺は。
あ、でも保健室の先生パターンはありね」
お前も何言ってんだ。
「そんなに言うなら、言い出しっぺのお前から行けよ」
僕がけしかけると、啓介は首を横に振った。
「俺のはすげえから!
トリをやらしてもらうぜ。
だから、お前らからいけ」
「やけに自信満々だな…じゃあ、俺から行くよ」
「お、潤一いいねえ。
言っとくけど、話盛るのは禁止だからな」
潤一がはいはい、という感じで頷く。
こういう時、いつも切り込み隊長ができるコイツには恐れ入る。
「高校の時、俺が空手部で主将やってた話はしたよな?
その時の話なんだけど」
「いいね、いい導入だ」
「当時、付き合ってまだ日の浅い彼女がいて。
ずーっと好きだったし、俺のことも応援してくれてたから、絶対にインターハイに行きたいと思ってて」
「大会が絡むパターンか」
「名作の予感がするな」
「で、ある日学校から一緒に帰ってる時に『インターハイに行けたらなんかご褒美ちょうだい』って言ったんだよ」
「何、お前女の前だとそういうキャラなの?」
「以外とやり手だな」
「よ!甘え上手」
話に入り込み過ぎて、僕まで合いの手を入れてしまった。
こいつ、案外聞かせる話をする。
「そしたら彼女、『じゃあ、インターハイ行けたらキスしてあげるね!』って言ったんだよ」
啓介が何故か目をつぶって台詞を噛み締めている。バカだ。
「で?で?結果は?」
潤一はため息と共に答えた。
「地方の決勝で負けて、インターハイには行けなかった」
「マジかよ…」
啓介が頭を抱えた…アホだ、と思ったら隣の藤野も静かに頭を抱えていた。
どんだけ話に入り込んでるんだ。
「でも、次のデートの帰りにキスされたんだよ。『頑張ったご褒美ね』って」
藤野は、立ち上がって潤一に握手を求めた。
「今年のアカデミー賞受賞おめでとう」
啓介はテンション上がり過ぎて顔真っ赤だ。
「最高!!続編に期待だな」
かくいう僕も、案外テンションが上がっていた。
「すげえな。出来すぎた話だ」
そういうと、潤一は肩を落とした。
「まあ、その1年後に浮気されて別れたんだけどな…インターハイで負けた学校の主将と」
反応に困った僕は、とりあえず同じコメントを繰り返した。
「…すげえな。出来すぎた話だ」
一瞬、夜の闇が深くなったような気さえした。
藤野もコメントに困っている。
…いや、この後にする自分の話の内容を考えているだけかもしれない。
啓介が空気を切り替えるようにパン、と手を叩いた。
「まあ、蛇足の部分以外は悪くなかったな!
しんみりする前に次。求めてるのキュンキュンだから」
人の脳が壊されているのに蛇足とは。
こいつには人の心がないのか。
「次は俺が行くかあ」
いつも通り、のんびりと藤野が名乗り出た。
「よっ!待ってました!」
さっきえげつない話を披露した割には元気な潤一が合いの手を入れる。
さすが空手部主将。メンタルが強い。
「実は中学の頃、俺のファンクラブあったんだよ」
「ええ!?」
藤野がとんでもないことを言い始めた。
「俺、背伸びるの早くて中2で176cmあって。今そこから1cmしか伸びてないけど」
「羨ましい話だ」
思わず声が出てしまった。
僕は今も170cmしかないぞ。
「で、昔からこんな感じだから。無口なのがウケたみたいで」
「何も考えてないだけなのにな、実際」
もっと何も考えてなさそうな啓介に言われるのは癪だろうけど、その通りだ。
藤野はいつも何か考えてそうな顔をしながら、大体何も考えていない。
ただ、黙ってたら顔は悪くないしファンクラブがあってもおかしくはない気がする。
「で、そこの女に奪われた。ファーストキス」
「ちょっと待って、急展開過ぎてついていけない」
「おい!キュンはどうしたんだよ!」
潤一と啓介がツッコミを入れた。
確かに、いくらなんでもまとめが急過ぎる。
「だって盛っちゃいけないんだろ。これが実話」
「そこに至るまでのエピソードがあるだろ」
「俺の誕生日に手作りのケーキを持ってきてさ。
断りきれなくて、仕方なく食べたら『私のファーストキスも奪って!』って言われて。無理矢理」
「えー。相手の子はタイプだったの?」
「全然。正直、苦手なタイプだった」
「最悪じゃん…」
思わず素直な感想が出してしまった。
ファーストキスが受け身な上に好みの相手じゃないなんて、結構可哀想だ。
「まあ、それから貞操観念が狂ってファンクラブの女の子に色々手出したんだけど」
「おいおい」
こいつら、蛇足のタチが悪いな。
「オチまで含めて全然キュンキュンしねえよ…仕方ない、樹の番だ」
啓介が仕方ない、という様子で僕に視線を向けた。
なんで期待していない論調なんだ。
「ファーストキスは…高校1年の時、塾が一緒だった子と」
「マジかよ。なんたるスケベ塾」
「エロ夏期講習」
僕の時だけ悪口が強めだな。
そう思いながらも、言葉を続ける。
「3駅ぐらい離れた塾に通ってたんだけど、たまたま帰り道が一緒で。それで仲良くなったんだよ」
「へえー。塾パターンってあんま聞かないなぁ」
「で、秋頃かな。一緒に帰ってる時に告白されて」
「え!お前告白されたの!?」
啓介が疑問に満ちた目で僕を見る。
本当失礼だな。
「そうだよ。ちゃんと付き合ってくださいって言われた」
「で?で?」
「OKしたよ。こっちも好きだったし」
「フーーー!」
藤野の低音フー!を頂いた。
「で、肝心のファーストキスは?どこでしたの?」
僕は、ゆっくりとその日の記憶を辿った。
「…駅の改札の前」
「マジかよ!路チューかよ!」
「芸能人みてえだな」
他の3人が騒ぎ立てる。
確かに、今考えると初キスが路チューは結構すごいかもしれない。
「なんて言われたのよ?その時」
「改札入ろうとしたら『ちょっと待って』って腕掴まれて」
「ほうほう」
「振り向いたら、キスされた」
「うおー!すげえ。少女漫画みたいじゃん」
「男女が逆のような気もするけどな」
確かに。
あの頃の僕は、今より奥手だったかもしれない。
「で、その後は?」
「キスしたらまた改札の方を向いて、『行くよ』って手引っ張られた」
それを聞いて、潤一が目を瞑って天を仰いだ。
「最高の蛇足をありがとう」
君の脳の回復を祈る。
「以上、俺のファーストキス話でした」
僕が話を締めると、啓介がゆっくりと手を叩く動作をした。
「見事だったよ、樹。お前からそんなに質の高いキュンキュン話が出てくるとは」
お褒め頂き光栄。
けど、お前のはもっと凄いんだろ。
「よし、行け真打ち」
ファーストキスのバトンを繋いだ。
啓介は轟音が聞こえそうなぐらい鼻の穴をおっ広げた。興奮しているようだ。
「実は…俺のファーストキスは昨日だ!」
「へえー」
「ずるい」
「遅いな」
三者三様の反応。
ただ、どうやらどれも啓介が望む反応じゃなかったらしい。
「お前ら、もっと驚けよ!
藤野、お前『へえー』ってなんだよ!」
「いや、そんなに興味ないから」
藤野がいつも通りゆったり答える。
本当に興味ないんだろうな。
「もっと俺に関心を持て。
樹の『ずるい』はどういう意味だ!?」
「その話をしたいがためにファーストキスの話振ってきたのかと思って。
発想がずるい」
啓介が今度はわなわな震え出した。
面白えなこいつ。
「一生に一度なんだから少しは自慢させろや!
潤一、お前の『遅いな』はなんだ!?」
「いや、俺らそろそろ3年だろ。
単純に遅えなって」
啓介がブンブン、と首を横に振った。
そろそろ縦揺れを始めるかもな。
「もういい。
よし、俺のファーストキスの相手を発表する」
「お、オプションが入ってきた」
確かに。相手まで発表した奴はいなかった。
「聞いて驚け。
俺のファーストキスの相手は…なんと、宮城優香ちゃんです!!」
これには、少なからず僕も反応した。
宮城優香は僕らが所属する軽音サークルの同期だ。
明るくて可愛いから、多分同期内では一番モテる。
「そうなんだ。いつから付き合ってたの?」
藤野がのんびり聞くと、啓介は胸を張って答えた。
「2ヶ月前でーす。
実は、半年前ぐらいから色んな柵を練って徐々に近づいていたのよ」
「へー。お前、やり手になったねえ」
潤一の言葉に、僕も思わず頷いた。
啓介は、デートもせず急に告白して振られるタイプだったのに。
「3年ありゃ人間も変わる。
徐々に愛を育んださ」
「うわ、カッコつけてる」
藤野が露骨に引いている。
「うるせえな!
まあ、俺のファーストキス話を聞けよ」
啓介が勢い込んで話し始めたけど、僕は聞いているフリをして海を見つめた。
この話をしっかり聞いても、多分あまり良いことがない。
宮城優香は、僕のファーストキスの相手だ。
高校の頃塾で知り合って、音楽の趣味が似ていることがきっかけで仲良くなった。
2年間付き合って、高校の卒業を直前に別れた。
同じ大学に行くことはわかっていたけど、まさかサークルまで同じとは思っていなくて。
うちの大学は軽音サークルが少ないから仕方なかったけど。
別れたことに、大きな理由があったわけじゃない。
喧嘩したわけでも、どっちかが浮気したわけでもない。
ただ何となく、時間と共に冷めていっただけだ。
僕は、徐々に連絡の頻度が落ちていくのをただ黙って見ていた。
宮城と別れた後に大学で知り合った別の女の子と付き合ったこともあったし、今の今まで宮城に未練があるなんて思ったことがなかった。
色々言ったけど、啓介は親友だ。
ファーストキスは心から祝ってやりたい。
でも僕は、啓介の話をまともに聞いて穏やかでいれそうになかった。
やっぱ、男の恋愛は「名前をつけて保存」だからだろうか。
もっと大人にならなきゃな。
気を逸らそうと思って、ふと考えた。
ファーストキスの味って、どんなものが一番多いんだろう。
潤一みたいに甘酸っぱいもの?
藤野みたいに思い出したくないもの?
僕のように、最初は甘くても最後はほろ苦いもの?
同じような世界を見てきた4人でさえここまで差が出るんだから、人によってそれぞれなんだろう。
世界には何千、何万通りというファーストキスの味があるのだ。
そう思いながら、目の前で雄弁に語り続ける啓介を見つめた。
こいつのファーストキスの味は、きっとこのメンバーの中では一番甘かったんだろうな。
そう思うと、急に笑いが込み上げた。
「おい!樹今笑ったろ!?
親友のファーストキスの話を笑って聞いてんじゃねえよ!」
「悪い悪い」
今の僕は、多分自然に笑えている。
話は終盤に差し掛かっていた。
終わったら、ちゃんと啓介におめでとうと伝えよう。
この4人の前で、僕は自分のファーストキスの相手を言うことはないだろう。
いつまでも何気ないバカ話をしていられる友達なんて、もう見つからないかもしれない。
こいつらと仲良く一緒にいるために、僕はファーストキスの思い出を胸に仕舞っておこうと思う。
改札を通ろうとする僕を呼び止める声。
引き寄せられた右手、柔らかい感触。
ボーッとする僕を見て微笑む彼女は、無邪気な笑顔を浮かべて僕の手を引いた。
『行くよ』
その全てを、僕は心の中にしまっておく。
さよなら、僕のファーストキス。