自分の人生を自分で選んでいるという意識を持つ
自分の人生がどういう人生なのか、自分で選んで決められるって思ったら、どんな人生を選びたいですか?
超限界集落でデジタル&アナログの筆文字書きをしているザスユカです。
今日はこんな作品を書きました。
先日、「うちあわせCast」というPodcastでrashitaさん、ゆうびんやさん、大橋さんが話されていた内容に触発されて書きました。
該当のPodcastはこちら
▶️第五十五回:大橋さん&ゆうびんやさんと日記について
日記を書く、ということはその日にあったことに意味づけをすること。
認識を固定させることでもあります。
その時にどこにフォーカスをするかによって、幸せな1日だったとも言えるし、最悪の1日だったとも言えるわけです。
悪いことをことさら掘り下げていってネガティブな感情を書き残すのも、その他のよかったことを掘り下げて「だからいい日だった」とするのも自分の匙加減ひとつ。
一つの出来事に対して見方を変えるだけではなくて、どこにフォーカスを当てるのかだけでもその日の持つ意味合いがずいぶん変わってくると思います。
そういう意味では「吾唯足るを知る」という言葉を心に留めながら今日という日を振り返るのは幸せを感じる一歩なのかなと思います。
「吾唯足るを知る」というは京都・龍安寺にあるつくばいに刻まれた言葉で簡単に言えば「自分は満ち足りている、ということを知りなさい(心に留めなさい)」というような意味でしょうか。
不満を挙げればキリがないけれど、それ以上に自分が既に持っているもの、満たされていることに気づき、そこに注視せよ、というように私は解釈しています。
悪いこと、悲しいこと、怒りを感じること、それ自体は悪いことではありません。むしろそう感じたことは否定しないで受け止めていいと思います。
けれど、そこから「だから自分は○○なんだ」と自己否定や他人の否定にまで踏み込む必要はないんじゃないかな、とも思います。
起こったことに対するネガティブな想いは「改善方法や対策を考える」というToDoに落とし込んでおしまい。
そこにはそれ以上の意味づけをしないで終了!
逆にポジティブな感情はより掘り下げていって幸せな気持ちを膨らませていくくらいでちょうどいいのかなと思います。
そんな日々の積み重ねが「私の人生はこういう人生だ」という人生観を作っていくのなら、どんな人生にしたいのかは自分で選んで創っていけるんじゃないかな、というのが今日の作品です。
あなたの今日はどんな1日でしたか?
どうぞ明日もいい1日でありますように。
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