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やりたくないことをしない、人生のすゝめ

先日、ふと思い立った。
「やりたいことをする人生もいいけど、やりたくないことをしない人生もありだよな」


なーんかしっくり来た言葉なのでメモ用につぶやいておいたのだが、自分でつぶやいておいて「やりたいことをやる人生と何が違うんだよ」などと思ったりした。時間をかけて思考して整理しないとな-と思ってはいたが、そんなことはまーぁしない。

しばらく経って人材最大手パーソルさんの投稿を発見。
#私らしいはたらき方」とな。
2021年現代の人間を生きる以上、ほとんどの人ははたらくことは生きることに親しいだろう(無理矢理)。これだ。
ということで、記事を書くという理由付をもらい、自分の中で思考を整理してみた。

まずは語感。

「やりたいことをする人生!夢を叶える人生!目標を持って生きよう!好きな仕事を見つけよう!」素晴らしいことだ。真似したい。ただ自分の人生に当てはめたときに、イマイチしっくりこない。

「目標は別にないけど、やりたくないことをしない人生ってアリじゃない?」だとどうだろう、ネガティブ要素が入るけど、私の気持ちとしてはしっくりくる。


振り返るといつもそう。

ずっとそうだった。小学生の頃に「将来に何になりたい?」と聞かれても、就活のときに「夢はなんですか?」と聞かれても、本心から「これ!」と答えられることができない子供だった。
思えば、「これやりたくない」を選択し続けた人生だった気がしてくる。

中学生のときは「先生と名のつくものにはなりたくない」
高校のときに文系に進んだのも、「数学と化学をやりたくない」から。

仕事を決めるときもそう、常に「〇〇したくないから」が浮かんでくる。

リーマンショック&3.11後の氷河期に私を受け入れてくれた1社目の会社は、朝8時から出社し、終電まで働きなんなら土曜日だってちょっと来る…そんなお手本のようなハードワーク企業だった。私は勤めた3年間、一度たりとも休まず、風邪も引かずに働いた。
就職して、大人になってから気づいた。私はどうやら目の前のことに一心不乱になることができるらしい。  

当時良く上司に聞かれた言葉、「お前のモチベーションってなんなの?」。
私は傍から見ると、淡々とハードワークする仕事人間に見えていたようだ。当時を振り返ってみると、毎日が必死で、泣きべそかきながら目の前のことを一生懸命していたらこうなりました、というのが正解なのだが(実際、3ヶ月に1回は家でべそべそしていた)。まぁ新卒の頃って、みんなそんなもんじゃないんですかね?

よくよく振り返ると当時も「怒られたくないから(頑張る)」「負けるのがいやだから(いっぱい仕事する)」というあまりポジティブでないモチベーションだった気がする。

次に勤めた会社は「短距離ではなくマラソンでいこう」をテーマとし、全力坂を止めてみた。ちなみに2社目を選んだ理由は「営業をしたくないから」という、”最前線・フロント疲れた感”がありありとでている理由である。
それが最近ではついに「残業したくない」に昇華されてきた。

もちろん、人生のすべてにおいて「これやりたくないからやらない」で済ませてしまうと大変なことになってしまう。
ただ何か自分の選択の中でも重要な局面において(例えば仕事選び、恋人選びなど)、本能的に「これはイヤだ、やりたくない」というモノがあるようだ。そしてそれは、スキを見つけるよりも重要なことらしい。


ないないって、逃げてるみたい。楽しいの?

そんなネガ要素満載の選択で社会人歴10年を越えようとしている私だが、振り返ってネガティブな人生、または働き方をしていたかと言われるとそんなこともない。

1社目では先の通り、ハードワークをして得た行動力とスピード感、その他もろもろを学ぶことが出来たし、何より特に苦痛と感じたことはなかった。出会った先輩たちは今でもオンライン飲み会をするくらい仲が良い。
2社目でもたくさんの素晴らしい人とお仕事ができ、1社目では考えられないような幅広い仕事ができている。

今では「残業したくない(けどお金はほしいからお金に働いてもらう)」といった思考となり、なんと仕事以外に資産運用をかじりはじめている。
正直言って今が一番楽しい。


当たり前だが「したくない」の対義語は「したい」である。
ただ、「○○がしたくない」の反対は、「▲▲がしたい」になるとも限らない。
「りんごが食べたくない」の裏の意図は、
「みかんが食べたい」になるかもしれないし、
「バナナを買わなきゃ」になるかもしれないし、何なら
「ハンバーグ食べ行こ」になるかもしれない。

思うに「○○がしたい」は選択を一つに絞る言葉で、「○○がしたくない」というのは選択肢をいくつかに狭める言葉なのかもしれない。

とすると冒頭の「やりたいことをする人生」と、「やりたくないことをしない人生」の違いは、
前者は一つに絞り続ける人生で、後者は選択肢を複数残したまま、可能性を求め続ける人生、と解釈できなくもない。
人によっては「なんて非効率な生き方だ」と思われるかもしれない。


やりたい仕事、好きな仕事、生涯を捧げる天職が見つかるのはそりゃー一番いいし、素敵なことである。

でも、何が何でもぜっっっっっっったいにやりたくない仕事をしない(それ以外は割と何でもやりますよ)。という「したくない戦法」に則った仕事探しもありなんじゃないかなぁ、と思うわけです。

選択肢を1つに絞らないけど、色々やってみる好奇心は大事なわけで、お仕事の業務レベルで「やりたくないことをしない」を延々と続けていると、ただの怠慢・無気力人間となってしまう。

意味合い的には「やりたくないことを1つだけ挙げ、むしろそれ以外を全部やる」くらいの勢いである。
例を挙げると
転職エージェントに「営業職以外の求人票おすすめ全部ください、受けます」といってみたり
「(配置換え面談のときに)前職でやってたことはやりたくないんで、それだったら辞めます。それ以外だったら大丈夫です。」などと上司にいってみたりした(実話)。


まとめ。

私にとっての #私らしいはたらき方 は、やりたくないことをやらない選択をすること。もちろん好きな仕事が見つかるのが一番だが、「特にやりたいことなんてないんだよなぁ。。」と思っている迷える就活生さんや転職希望者さんには、考え方の一つとして「それもありだよ」と伝えたい。


余談だが私の「したくない」は筋金入りで、彼氏を探すときの基準も「早食いじゃない人」という「ない戦法」を採用した。基準が明確だと、何事もさくっと決めやすいのだ。
迷える婚活女子・男子は、ぜひこちらも参考にしてみてほしい。


【ちょっと自己紹介】
普段は資産運用初心者が「やってみた」系記事を投稿しています!シュミの合う人は仲良くしましょう('ω')

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