迫害された時どう生きるか?
現代にも見えない身分制度がある。
中学生くらいにはみな気付くのではないだろうか?
私は『こちら側』か、と。
私はその身分制度に背き足掻き諦めなかった人間だ。
つまり低いのに高くあろうとした。
その諦めの悪さが悪いほど高低差があるほど、後々問題が発生する。
事実私は高校卒業後から20代にかけて10年以上引きこもりだった。
こんなに激しいものはなくとも身分制度に背き実力以上のものを望んだ挙句、
普通の幸せが手に入らない例は枚挙にいとまがない。
じゃあ身分制度に背いたことは悪なのか?
そもそも迫害は受け入れなければいけないのか?
これは答えがないことだと思うので、
私が出した答えは以下です。
私は迫害を受け入れるほど人生を達観できていなかった。
だから諦めずに頑張ったけど、今思うともっと早くに受け入れても良かったと思う。
努力のモチベーションがそこであったことは、
達観した今、私を無気力にさせているけど。
人間どこかでそのような局面に立たされる。
それは痛み以外の何物でもないけど、人生そのものとも言えることだから、
人それぞれ気付くタイミングがあって諦めて年をとっていくものだと思う。
精神疾患を抱えた私から一つ言えることは、
本当の絶望に打ちひしがれる前にちょこちょこ躓いていた方が予後は楽だと思う。
まあこれは今だから分かることだが。
正解がないことだけに、心の壁は見えないだけに、
そうゆうものだと理解したつもりの私もまだその途中かもしれない。