天空のオアシスへGOKYO LAKE〜Day7〜
お洒落なブレックファスト
AM6:30のアラームにかけていたアラームよりも5分ほど前に目が覚めた。
腹痛の症状はすっかりとどこかへ消えた。
その代わりに手足の指先に少しばかり痺れが起きる高山病の軽い症状が出ていた。
五分後のアラームと同時に大田原さんが目を覚ました。
前の晩のこともありこの日の朝食は外で食べることにしていた。
身支度を整えた私たちはすぐさま宿の代金を支払い、スタッフに別れを告げた。
ナムチェの町にはカフェが何軒かあったため泊まっていた宿から徒歩1分ほどの距離にあった外観のオシャレなカフェに入店した。
メニューを手に取りモーニングの欄からオムレツウィズブレッドを選択した。
この頃には飲むことがすでに日課になっていたホットレモンを注文した。
料理が出てきた。
オムレツは少しパサパサした食感だったが、注文してから5分ほどで提供されたこともありとても美味しく感じた。
スピードは命である。
何より店内が綺麗だった。
町の食べ物の相場よりは少々値が張ったが満足だった。
ひと時のリゾート気分を味わったところで私たちは店を出た。
イエティの頭皮を求めて
この日は時間的な余裕がたっぷりあるルートであったため、大田原さんから勧められた資料館に寄っていくことにした。
分岐点で大田原さんに一度別れを告げ、私は1人資料館に向かった。
分岐点から約10分ほどで資料館についた。
中に入るとヒマラヤ地域に生息する動物たちの解説資料などが掲げられていた。
今のところ小鳥以外の動物を見かけていなかったため、ヒマラヤに住む生物を知るいい機会になった。
しかし肝心のイエティの頭皮が見当たらなかった。
資料館の職員に尋ねると、ここにはないと言われた。
どうやら大田原さんの話を聞き間違えてしまったようだ。
イエティの頭皮はそこから徒歩40分ほどの距離にあるクムジュンという村にあるそうだ。
早速クムジュンまでの道を教えてもらい再び歩き始めた。
AM8:00過ぎの登山道は混雑している。
人の流れに身を任せて進んでいるとクムジュンまでの道を見失ってしまった。
仕方なく私はイエティの頭皮を諦め、大田原さんに追いつけるよう必死に歩いた。
ポーターたちの話
ヒマラヤを歩いていると常に目線に入ってくるのはポーター(荷物持ち)だ。
彼らは信じられないほどの大きさ・重さの荷物を背負い込みながら山を登っていく。
驚くべきはその足元だ。
ノースフェイス社やサロモン社のブート品(模倣品)の靴や中にはサンダルで登っているポーターもいるのだ。
その姿を見て、8kgほどの荷物でヒーヒー言ってしまう自分が情けなくなった。
彼らはガッチリとした体型ではなく、どちらかというと日本人のようなスリムな体型だ。
どこからあんな大荷物を運ぶ力が湧いてくるのか甚だ疑問だった。
やはり山で育った人間ならではのDNAなのだろうか。
いずれにせよここに訪れる世界中のハイカーたちは彼らの力なしではヒマラヤの絶景を目に焼き付ける事はできない。
感服に値する。
ヒマラヤカール
正午を過ぎた頃から雲行きが怪しくなり、あたりが霧がかっていた。
モンラまであと数百mというところで左側の崖に動物の群れが確認できた。
ヤギだろうかと思ったが違っ た。
大きくカールした大きな角を持っている。
首回りにはフサフサの毛が生えていた。
後から調べたところ名前はヒマラヤカールというウシ科の野生動物だった。
ここを歩き始めてやっと野性味のある動物に出会うことができテンションが上がった。
そのワイルドかつゴージャスな佇まいを忘れる事はないだろう。
合流
エベレストベースキャンプとゴーキョへの分岐点をゴーキョ方面に進んでからはすっかり人が減った。
やはりEBCトレッキングの方がネームバリューも人気も上なようだ。
人が少なくなり歩きやすくなった道をズカズカ進んでいると前の方に大田原さんらしき影が見えた。
モンラまで残り1時間半ほどの距離のところで追いついた。
合流後一定のペースで歩いた私たちの前にこの日の目的地モンラがうっすらと見えてきた。
モンラ
モンラに到着した。モンラは町自体がピーク(地形的に頂上)になっており、せっかくなので見晴らしの良い宿を探した。頂上付近で見つけた宿に入ってすぐに昼食を食べた。この時は焼きそばとホットレモンを注文した。腹ごしらえを終わらせた私たちは宿泊する旨を伝え、部屋に通された。この日も例の構造をしている部屋だった。すかさず右側をベッドに私が、左を大田原さんが陣取った。
ダライラマ14世
トイレに行こうかと思い宿の廊下を歩いていると壁に掛け軸が掛かっていた。チベット仏教の師ダライラマ14世の言葉が赤い布に金の文字で刺繍してあった。
The true meaning of life
We are visitors on this planet we are here for ninety or one hundred years at the very most. During that period, we must to try to do something good, something useful, with our lives.
If you contribute to other people's happiness, you will find the true goal, the true meaning of life.
簡単に訳すと
"我々は皆、地球の来訪者であり、100年程度の人生の中で私たちの生活に
とって意味のあることをすることに努め、他人の幸福を助けるようなことをすれば人生のゴール、人生の本当の意味を見つけることができるだろう"だ。
私にはこれが私利私欲にまみれた拝金主義的物質主義的な資本主義社会に一石を投じるようなメッセージに聞こえた。
標高4100mで私はとてもエモーショナルな気持ちになった。
宗教の教えにとてつもなく大切な意味を感じたのは初めてのことだった。
壮大な自然の中をただただ歩きに来たことで、普段よりも感情の糸が敏感になっている気がした。
この日は夜になってもこの教えが頭から離れなかった。
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