日記 デカフェと髭
最近、デカフェのコーヒーを飲んでいる。
「カフェインの入っていないコーヒーなんて、アルコールの入っていないビールと同じやないか。飲む意味ありますん?」と、20代の自分なら言ってしまいそうだが、そんな自分も、20歳、年をとれば、デカフェも飲むのである。ノンアルは飲まないけど。
なぜデカフェかというと、最近はコーヒーを数杯飲んだら頭痛がしたり、寝つきがすっかり悪くなってしまったりしたからだ。昔はそんなことなかったのになぁ。いや、あったけど、気にならなかっただけなのか。体の異常に敏感になったということか。
話は戻るが、デカフェの存在である。ノンアルビールもそうだが、「カフェインが入っていないコーヒー」「アルコールが入っていないビール」など、それらが本来有しているべきアインデンティティを決定的に失ったそのモノたちの存在を、昔なら否定していたような気がする。だったら飲まなくていいじゃーん、と。
別にデカフェもノンアルも、存在していて困るものでもないし(実際に自分も飲んでるし)、市場に需要があるからそういったモノたちも作られているわけで、否定する理由も何もないのだけど。若いとなんとなく否定したくなるんだよな。
昨年、久しぶりにバイト時代の友人らと飲んだ。その中に、昔から髭が濃い先輩がいて、まさにそのままだが、「ヒゲさん」という愛称で仲間からも慕われていた(別にヒゲを生やしていたわけではなく、青髭が濃いだけなのだが)。
その際、久しぶりに集まった仲間のうちの一人が、
「あれ?ヒゲさん、今日髭濃くないっすね?」と言うと、
ヒゲさんが、
「おう!おれ、こないだ、ついに全身脱毛したんだよ!」と答える。
確かに昔のような青髭がない。
それを聞いた私の友人が、
「えぇ、それってアイデンティティの喪失じゃないですか…」
と驚く。
ヒゲさんは「髭は俺のアイデンティティじゃねぇよ!」
とすかさず反論していたが、ヒゲさんはもはやヒゲを失いヒゲでもなんでもなくなってしまった。ヒゲのないヒゲさんって、なんなんだ。
ヒゲさんと呼ぶ正当な理由も失った僕たち仲間は、「デヒゲ」とか「ノンヒゲ」とか呼んで散々新しいニックネームを模索したのだけど、解散するときには結局「じゃあねヒゲさん」と言ってみんな別れた。アインデンティティというものは、そんなに簡単に崩れるものではないようだ。って、なんの話だ。
カフェインのないコーヒーもコーヒーだろうし、アルコールが入っていないビールもビールだ。髭がないヒゲさんもヒゲさんだし、なんでもかんでも「これ意味あんの?それどうなの?」と無駄につんけんしていた自分は何だったんだろう。
やるべきことや時間に追われてばかりの生活の中で、なんでもかんでもその意味を考えたり求めたりしがちであるが、そんなこと大抵はどうでもいいわよね、とすべての存在自体を有り難く受け入れて、好きなようにのんびり生きたい2025年。
デカフェも全然おいしいな、と思いながらこのmoteをカタカタしてる。