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muda
毛は何のために生えてくるのか、と聞かれたら大多数の人は「大事な部分を守るため」と答えるだろう。
頭、股間、胸(心臓)、確かに人間の命に関わる大事な部分には、しっかりと毛が生えている。それなのに、最近の脱毛ムーブは何なんだ。いや、もはやムーブではない、文化。脱毛文化と言えよう。某オラオラ系アニメがごとし、ムダムダムダと毛に対する逆風は止まない。
強制されているわけではないけれど、脱毛することがもはや当たり前。脱毛していないなんて言った日には、異端児かつ美意識の欠如した人間というレッテルをスーパーの半額シールのように雑に貼り付けられるのだ。
女子大生や女子高生はおろか、中学生や小学生の中でも脱毛が当たり前なんだとか。一種の嗜みとして子供たちに脱毛を促すこの風潮を、良いとか悪いとかの白黒思考で考えることはしないけれど、それでも「なんだかなあ」とは思う。
自分が小学生の頃、脱毛をしている同級生などほぼいなかったのではないか。私の知らない世界があったのだろうか。
ほんの一握りのマセた女子が、剃刀で腕とか脚とかの毛を剃っていた、という話は耳にしたことがあるが、そうする理由すらも、鼻たれ小僧の私には理解できるはずがなかった。
仲が良かった女子は眉毛が繋がりかけていたし、うっすらとヒゲが生えていた。給食の牛乳を飲むと白く浮かびあがるそのヒゲが、別に気にならなかった。
確かに今では、毛が生えっぱなしの女性を見てしまうと少しびっくりする。「なんで処理していないの?」と思ってしまう。
子供らしさとは何だろう。
ヒゲなんかにとらわれず、その人を愛せることだろうか。
大人らしさとは何だろう。
生えたヒゲも含めて、その人を愛せることだろうか。
そうなればきっと、それはムダ毛ではない。
その毛は、愛を生むんだ。
毛は、愛を生むんだ。
毛は、むんだ。
毛、むんだ。
毛むだ。
ムダ毛。